館山城

1. 城のデータ

[所在地] 千葉県館山市館山字城山  

[築城年] 1590年  

[築城者] 里見義康

[遺 構] 土塁、堀

[別 称] 里見城  

[形 状] 平山城  

[登城年] 2012年5月4日

(※トップ写真:館山城・模擬天守)


2. 城の歴史

館山城は房総半島に勢力を持っていた里見氏9代・里見義康が北条氏の圧迫を受け、新たに本拠を移すために築城したものである。しかしながら宿敵の北条氏は豊臣秀吉に攻められ滅亡する。その際、小田原への参戦が遅れたのを咎められたため、里見氏は安房一国9万2000石に減封となってしまった。

関ヶ原の戦いでは東軍側につき、3万石の加増を得たが、小田原城主・大久保忠隣の改易に連座して幕府より安房一国を没収されてしまう。その後10代忠義は伯耆国倉吉に移封となり、失意の末29歳で死去、名門・里見氏は滅亡することになる。


3. 城の見どころ

館山城は千葉県内でも南端にあたる館山市の小高い丘の上にある。千葉の最南端に近く、東京からJR内房線で館山まで行ったが実に遠かった。館山湾が程近くにみえ、海風がとても暖かく南国の香りがする風光明媚な地だ。訪れた時は5月の時期で、館山城のある城山はツツジが満開でとても綺麗だった。

(下写真:本丸側から帯曲輪を見る)

標高72mの城山を登っていくと、頂上に天守が建っている。これは1982年につくられた模擬天守である。築城当時天守があったかどうかはよくわかっていない。模擬天守は三重四階の望楼型の天守であり、犬山城の天守をモデルにしたという。内部は歴史資料館となっており、特に江戸時代の滝沢馬琴が作り上げた「南総里見八犬伝」の展示物が数多く展示されている。

天守の最上階からは広大な館山湾を遠望できる。海を挟んで向こう岸には相模国(神奈川県)も見ることができる。天気の良い日には富士山も見えるという。この場所は太平洋から江戸湾の入口にあたる。ここの海上を抑えれば江戸への海上の進路を阻むことができる。海を眺めていると、館山の地が江戸時代交通の要衝であったということが何となくわかるだろう。

館山城は里見氏が幕府により安房一国を没収になった際に徹底的に破却されたこと、明治以降に砲台を設けられた際に改変されており、当時の遺構は残念ながら少ない。里見義康の館跡や、八犬伝のモデルになった8人の家臣の墓などがある。

(下写真:里見義康の館跡)

(下写真:八遺臣の墓)

唯一はっきりとした遺構としては、城山から少し離れた慈恩院付近の鹿島堀がある。これは関ヶ原の戦いでの論功行賞により、加増された常陸国鹿島の領民が普請したものといわれている。

(下写真:鹿島堀)


4. 城のポイント

①房総半島に席巻した里見氏最後の城 

②模擬天守 ⇒内部は資料館となっている

③市内に現存する鹿島堀

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