1. 城のデータ
[所在地] 千葉県千葉市中央区亥鼻町
[築城年] 1126年
[築城者] 千葉常重
[遺 構] 土塁
[別 称] 亥鼻(猪鼻)城
[形 状] 平山城
[登城年] 2011年12月18日
(※トップ写真:千葉城・模擬天守)
2. 城の歴史
桓武平氏の流れをくむ千葉常重が、1126年にそれまでの大椎より現在の千葉の地に本拠を移すことになった。このとき築かれたのが千葉城の始まりとされている。そして常重の子・常胤は、平氏に対して挙兵した源頼朝に味方し、鎌倉幕府の成立に大きく貢献し、その結果、上総・下総の覇者となる。
しかしながらその後、一族の内紛、関東管領と室町幕府との抗争など、関東の騒乱に巻き込まれ、その間に千葉氏の勢力は格段に衰えてしまう。戦国時代は小田原の北条氏に助力したため、豊臣秀吉による小田原征伐後、千葉氏は滅亡に至る。
3. 城の見どころ
千葉城(亥鼻城)は、現在千葉市街の都川が流れる河口付近の小高い丘の上にある。千葉市街の中にあるが、木々に囲まれた比較的静かな場所にある。かつて都川河口は入江で千葉湊があり、下総と鎌倉を結ぶ要衝の地であったという。
(下写真:都川)
現在城跡には城郭風の千葉市立郷土博物館が建っている。これを見てしまうと、いかにも近世城郭がこの地にあったと思ってしまうが、この建物は昭和42年に鉄筋コンクリート造で建築された模擬天守である。しかも、この建物近年免震構造に改修されたらしく、地震対策を万全にしているみたいだ。
(下写真:模擬天守)
とはいえ、当時は土塁と堀を巡らせた程度の中世風の城郭であったと言われる。どうも関東地方の城跡には、このようなかつては存在しなかった模擬天守が多いような気がする。とはいうものの、内部は甲冑をはじめ数々の展示品があり、千葉氏の盛衰の歴史、千葉市の歴史を勉強するには最適の場所である。
天守風の博物館の前には千葉の開拓者である千葉常重の像が立っている。「飛躍」と文字が書かれており、大鎧を身につけ、鏑矢をつがえて今にも放とうとする常重の雄姿は、関東武士らしく、とても勇ましく感じることだろう。
(下写真:千葉常胤像)
また、博物館の近くの神明神社の敷地に「猪鼻城址」の石碑がたっている。博物館となっている模擬天守だけがかなり目立ってしまい、元来千葉城の遺構と思われるものは本丸に残る土塁くらいで当時を偲ばせるに足るものは実に少ない。かつての館の中心は現在の千葉地方裁判所があったあたりであったという。
(下写真:猪鼻城址)
4. 城のポイント
①房総を支配した千葉氏の城
②城郭風の模擬天守がある ⇒内部は郷土資料館となっている
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