1. 城のデータ
[所在地] 群馬県前橋市大手町
[築城年] 大永年間(1521~1527年)?
[築城者] 長野左衛門尉
[遺 構] 石垣、堀、土塁
[別 称] 厩橋城
[形 状] 平城
[登城日] 2012年6月23日
(※トップ写真:前橋城・車橋門跡石垣)
2. 城の歴史
前橋の旧名を厩橋(まやばし)といい、城の起源は室町時代中期、長野氏の拠点であった箕輪城の支城として厩橋城が築かれたことに始まるという。しかしながら、城は近接して流れる利根川の氾濫により度々悩まされることになる。
戦国時代、越後の上杉氏、小田原の北条氏、甲斐の武田氏と、この城をめぐり争奪戦が繰り広げられた。豊臣秀吉の小田原制圧後は、徳川氏の家臣である平岩親吉が入る。1601年には酒井重忠が厩橋藩3万3000石を任され、城の大改修を行い、近世城郭と変貌を遂げ本丸には3層3階の天守も建てられた。
3. 城の見どころ
前橋は群馬県の県庁所在地であり、市内でとりわけ目立つのが何といっても近年建てられた群馬県庁舎だろう。この群馬県庁舎などが集まる市内中心部にかつて存在したのが、この前橋城であった。古くは関東北部の要衝を占め、戦国時代の英雄がしのぎを削った場所であり、江戸時代には関東七名城と言われた程の城郭であった。しかし前橋城も他の城と同様に明治以降の破却の運命にあい、現在残っている遺構は数少ない。
まず、群馬県庁舎の周囲をぐるっと取り囲んでいる土手がかつての前橋城の本丸土塁であった。保存状態は比較的良好であり、県庁から北方の前橋公園まで土塁が残る。土塁の高さはゆうに5mはあり、かなり高く積み上げられている。関東の城の多くが石垣は限定的で、ほとんどを土塁で固めた城が多かったが、前橋城もこの例に漏れず、土造りの城であったと思われる。
(下写真:本丸土塁)
(下写真:本丸土塁)
城跡の西方には大河・利根川が流れる。川幅は広く、水量も豊富である。訪れた前日に雨が降っていたので、相当の水量であった。築城当初から江戸時代にかけてこの利根川の水害に度重なる城の被害があったことが納得できた。(松平氏が城主の時代に、あまりの水害のために本拠を川越に移し、前橋には陣代を置くに留めたというのも無理もないと思った。)
(下写真:利根川)
また、前橋市内の一角には車橋門付近の石垣がひそかに保存されている。当時城の外曲輪から城内に入る重要な門であり、現在は昭和の区画整理により、門の台石が元の位置から8m程ずらされているという。この石垣は通りから少し奥まった場所にあるので、見落としてしまわないように注意が必要だ。
(下写真:車橋門跡石垣)
4. 城のポイント
①関東七名城に数えられた譜代の城
②現在も残る本丸土塁、車橋門付近の石垣、空堀
③特に県庁舎周囲の土塁の巨大さには圧巻
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