1. 城のデータ
[所在地] 栃木県足利市家富町
[築城年] 平安時代末期~鎌倉時代初期
[築城者] 源義国、足利義兼
[遺 構] 堀、土塁
[別 称] なし
[形 状] 平城
[登城年] 2012年12月24日
(※トップ写真:足利氏館・太鼓橋と楼門)
2. 城の歴史
足利氏館を築いたのは、源氏の祖である源八幡太郎義家の子・義国と、その子・義康の2代であるとされる。その頃から堀と土塁で囲まれた典型的な武士の館であったものと思われる。そして鎌倉時代初期(1190年頃)に、当時幕府の有力御家人であった足利氏2代・義兼が館を撤去して大日如来を本尊とする真言宗金剛山・鑁阿寺(ばんなじ)を設立した。
周知の通り、子孫である足利尊氏の時に室町幕府を築くことになる。その後鑁阿寺は足利氏一門の氏寺となり、歴代足利将軍家の間で手厚く保護され、そして現在に至っている。
3. 城の見どころ
足利氏館は鎌倉時代に御家人と呼ばれた、幕府の有力家臣の地方居館として利用された中世武士の典型的な館である。館の周囲を取り巻いている水堀と土塁を見れば、武士の居館の典型であった「方形館」を充分に実感できるだろう。足利氏2代・足利義兼以降、鑁阿寺として整備されてきたということもあり、堀と土塁といった遺構の保存状態は実に良好で、鎌倉時代からの姿がほぼそのままの形で現存している全国でも珍しい実例である。
(下写真:堀と土塁)
正面入口は南側で、現在は太鼓橋と楼門が建っている。太鼓橋は橋の上に柱と唐破風屋根を乗せた廊下橋、楼門は実に立派な構えで、二対の仁王像が観光客を出迎えてくれる。館の内部はなかなか広大で、全域が寺院の境内となっている。境内の中心に位置する本堂を中心に、多宝塔、経堂、不動堂、鐘楼といった鎌倉時代以降の貴重な建物が現存しているので、ぜひこれらは見てまわりたいところだ。
(下写真:本堂)
(下写真:多宝塔)
出入口は方形館の東西南北にそれぞれ一ヶ所ずつ、計四ヶ所あり、南門にあたる楼門以外の三ヶ所は棟門形式の門が建っている。それぞれが重厚な構えを誇っており、名刹と呼ばれた寺院の入口に実に相応しいものだ。
(下写真:北門)
足利氏館に近接する場所に足利学校が建つ。日本最古の学校と呼ばれ、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがあるが、はっきりするのは室町時代の上杉憲実が書籍を寄進し、学校を再興した頃と言われている。諸国から学徒が集まり、学問の一大拠点となった。教育の中心は儒学であったが、その他に易学、兵学、医学などを教えていた。また、1549年のフランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と紹介されている。
足利学校は、足利氏館と同様に水堀と土塁に囲まれており、入徳門、学校門、杏壇門を抜けていくと、儒学の祖である孔子を祀った孔子廟がある。孔子廟は江戸時代につくられたものである。
(下写真:足利学校孔子廟)
また、学校の東側は近年の整備により、庫裡(台所)、方丈(学生の講義、行事などに使われた)、衆寮(学生の勉学・生活小屋)などが復元されていて、実に見どころが多い。
4. 城のポイント
①中世地方武士の典型的居館 ⇒現在は鑁阿寺になっている
②方形居館を守る大規模な水堀、土塁が良好に残る
③近接する場所にある日本最古の学校・足利学校も見ておきたい
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