逆井城

1. 城のデータ

[所在地] 茨城県坂東市逆井  

[築城年] 1577年  

[築城者] 北条氏繁

[遺 構] 堀、土塁

[別 称] 飯沼城  

[形 状] 平城  

[登城年] 2010年7月19日

(※トップ写真:逆井城・復元二層櫓)


2. 城の歴史

逆井城は戦国末期の築城技法を駆使した城郭で、南北30km、東西1kmもの飯沼を天然の要害として利用した北条氏の北の最前線拠点である。西仁連川の河岸段丘上にかつて逆井氏が築いたとされる城跡を拡張整備し、当時は佐竹氏、結城氏、山川氏、多賀野氏などと対峙する一大拠点であった。

北条氏とともに隆盛を極めた逆井城だったが、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐に伴い、廃城となった。現在は城跡公園として整備され、発掘調査などをもとに、本格的な戦国末期の城郭の様子を復元し遺構の保存がなされている。


3. 城の見どころ

城のある坂東市(旧・猿島町)はJRや東武鉄道の路線から大きく離れた場所にあり、なかなか交通機関を乗り継いで辿り着くのが難しい。今回はJR古河駅からバスとタクシーを使って逆井城を訪れることにしたが、車があれば車で行った方が断然良い。

場所は田園地帯に囲まれた静かなところにあり、かつて各大名達が勢力争いをした舞台だとはなかなか想像できない。城の正面まで辿り着くと二層三階の物見櫓、平櫓、土塀が土塁の上に立ち並ぶ光景が目に入る。そしてその奥側には井楼櫓が立ち、二の曲輪の防備を固める。これらの施設は発掘調査などから戦国期(北条氏支配)の城郭の様子を復元したものである。

(下写真:復元二層櫓と平櫓)

(下写真:復元井楼櫓)

これまで様々な全国各地の城跡を訪れたが、この逆井城のように戦国期をターゲットにして再現された例はなかなか珍しい。城はかつて確かにあったが、観光目的だけのためにありもしない天守建築をたてた事例がよくあるだけにこの逆井城の事例は大変興味深い。

大手門をくぐると広大な二の曲輪に入る。関宿城の城門、戦国時代の遺構を復元した主殿、観音堂などが建っており、さながら城のテーマパークのようだ。関宿城の城門は明治の廃城時に民間に払い下げられたものを移築したものだ。また、東二の曲輪から一の曲輪に入るところに二階の櫓門が復元されている。

(下写真:復元櫓門)

(下写真:関宿城門)

逆井城の土塁を見ていると、所々に屈折させた「横矢掛り」と呼ばれる効果的な守備技術が見受けられる。また、堀の内側と外側に二重に土塁を築く、「比高二重土塁」と呼ばれる北条氏特有の築城技術が見られ、土塁・堀を見ているだけでも様々な仕掛けがあることがわかり、なかなか面白い。


4. 城のポイント

①北条氏の北関東における最前線軍事拠点 ⇒戦国期最大級の城郭

②発掘調査等を元に復元された物見櫓、平櫓、土塀、井楼櫓、櫓門

③城内の各所で見られる「横矢掛り」、「比高二重土塁」 ⇒北条氏特有の築城技術

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