棚倉城

1. 城のデータ

[所在地] 福島県東白川郡棚倉町棚倉 

[築城年] 1625年  

[築城者] 丹羽長重

[遺 構] 本丸、土塁

[別 称] 亀ヶ城  

[形 状] 平城   

[登城年] 2009年11月5日

(※トップ写真:棚倉城・本丸内堀と土塁)


2. 城の歴史

棚倉城は1622年に常陸古渡より赤館に5万石で入封した丹羽長重が新たな拠点を求めて、現在の地に城を築いたのが始まりである。長重は安土城の築城に携わった織田信長の家臣・丹羽長秀の子息である。しかしながら長重は城の完成を見ないまま、1627年に白河に移封されてしまう。

その後については、内藤氏など3代、太田氏、松平氏、小笠原氏から3代、井上氏から3代、松平氏から4代、内藤氏以降から中級の譜代大名が入る。1866年に阿部氏が入り明治を迎え、そして1868年に戊辰戦争により棚倉城は落城してしまう。


3. 城の見どころ

棚倉は白河から東に20kmほど行った所にある山あいの閑静な街である。東北自動車道からは少し離れた位置にあるため、棚倉にたどり着くのには少し時間がかかった。

石垣造りの名手と言われた丹羽氏の築城によるが、この棚倉城は石垣がほとんど使われておらず、東北地方の城らしく土塁造りの城である。(二の丸の一部に石垣が残っていたらしい)現存する建物は無く、遺構は本丸部分のみであるが、土塁と水堀が良好に残っている。本丸への北側と東側の入口部分は桝形の虎口となっているのが現在でも認められる。

(下写真:本丸北門枡形跡)

(下写真:本丸追手門跡枡形)

かつては本丸を中心に、その周囲に二の丸が配置された輪郭式で、さらに北西側に三の丸もあった。現在も残存する本丸土塁はなかなか高く、なおかつ塁線を屈曲させた横矢掛りが効かせたおり、軍事上の工夫がなされていることがわかる。

(下写真:本丸内部)

訪れた季節はもう寒くなろうかという11月。赤く染まった紅葉が本当に美しく、城の水堀に写る木々がとても印象的だった。


4. 城のポイント

①丹羽氏による築城 ⇒石垣造りの名手・丹羽氏だが棚倉城は全て土塁造り 

②本丸を中心にした輪郭式の城 ⇒本丸の東側と北側には桝形の虎口が遺構として残る 

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