二本松城

1. 城のデータ

[所在地] 福島県二本松市郭内  

[築城年] 1441~1444年、1649年  

[築城者] 畠山満泰

[遺 構] 本丸、二の丸、石垣

[別 称] 霞ヶ城、白旗城  

[形 状] 平山城   

[登城年] 2009年11月5日

(※トップ写真:二本松城・復元された二重櫓)


2. 城の歴史

二本松城は嘉吉年間に畠山満泰によって築かれ、以来9代150年間畠山氏の居城であった。しかし1586年、伊達政宗の攻略により、一門の伊達成実が城代として入った。豊臣秀吉による奥州制圧後は蒲生氏、そして上杉氏が支配した。

関ヶ原の戦い後は蒲生氏が、1627年には加藤氏が城代を置き支配する。1643年に丹羽光重が白河から10万700石の大名として入り、二本松藩が出来た。以後二本松城は丹羽氏10代の居城となった。明治元年、二本松城は戊辰戦争で薩長軍に攻められ落城し、城中の建物は全て焼き払われてしまった。


3. 城の見どころ

二本松城は室町時代から戦国時代にかけて築城されただけに、山城の性格を残しつつも、麓には居館部分となる二の丸・侍屋敷が設けられ、山頂部の本丸との二段構成となっている。

標高345mの白幡ヶ峯と呼ばれる険しい山頂部分には本丸と天守台跡がある。妙に綺麗な石垣かと思っていたら、平成7年に修復復元された石垣だということだった。実際に天守があった記録はなく、平屋の建物があったらしい。

(下写真:復元された本丸石垣)

(下写真:復元された天守台石垣)

天守台の上に立つと、二本松市内を一望することができる。整備された石垣群が多い中、注目すべきは本丸の下に降りると古風の野面積で積まれた古い時代の石垣が残っていることだ。これらは慶長時代以前のもの、おそらくは蒲生氏在城時代のものと思われ非常に貴重なものだ。幅が20m、高さが13mほどもある実に立派なものである。

(下写真:本丸下の野面積石垣)

山麓南側の二の丸部分は、かつて居館が構えられ新御殿、御部屋住居、二の丸御殿などがあった。現在二の丸を取り囲む高石垣上には二重櫓、箕輪門、多聞櫓が復元されていて、二本松市のシンボルとなっている。ただし、この二重櫓は実在しなかったという。城道の途中に戊辰戦争の折、新政府軍との戦いで戦死した二本松少年隊の像が建っている。また、二本松城を11月に訪れた時、ちょうど「第55回二本松の菊人形」の市が開かれていて、城内には数多くの人々がお城に集まり大盛況だった。

二本松城は当時城郭部と町屋とを厳密に区切っていたが、その境目に5カ所の城門が構えられた。その中で大手門であった坂下門跡周囲に石垣が現在も残っている。決して大きな規模ではないが、切石積の石垣でここは城ファン必見である。

(下写真:大手門・坂下門石垣)


4. 城のポイント

①5つの門に守られた丹羽氏の居城 ⇒山中の本丸部分と山麓の二の丸、郭内部に分かれる 

②違う時代に積まれた石垣が混在 ⇒本丸に慶長時代以前の古い石垣、山麓部には丹羽氏時代の石垣

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