仙台城

1. 城のデータ

[所在地] 宮城県仙台市青葉区  

[築城年] 1600年  

[築城者] 伊達政宗

[遺 構] 本丸石垣の一部

[別 称] 青葉城  

[形 状] 山城   

[登城年] 2009年11月5日

(※トップ写真:仙台城・大手隅櫓)


2. 城の歴史

仙台城は関ヶ原の戦い後、初代仙台藩主・伊達政宗により造営された。本丸には3棟の三重櫓がつくられたが、ついに天守は築かれなかった。政宗の築城期は山頂の本丸を中心とする部分であったが、二代藩主忠宗は山麓に二の丸屋敷を築く。以降はこの二の丸が藩政の中心となった。

本丸の建物は江戸以降の災害、明治維新後の取り壊しによってほとんどが失われてしまった。唯一仙台城の遺構として残っていた大手門と脇櫓も戦災で焼失してしまったが、一方で本丸石垣、三の丸周囲の土塁、水堀などは現存している。


3. 城の見どころ

仙台城は「杜の都」・仙台市の市街地西方・青葉山丘陵と、広瀬川沿いの河岸段丘上に伊達政宗が築かせた天然の要害である。北から東側にかけて広瀬川が取り囲み、南側は竜ノ口渓谷と呼ばれる断崖となっている。その城域の広さと、自然を最大限に活用した堅固さは戦国時代に一時期だが奥州の覇者となった伊達政宗の居城に相応しいといえるだろう。

しかしながら、仙台城も明治維新以降の城破却の余波を免れることができず、当時の建物は残念ながら残っていない。仙台城内で最も威容を誇った大手門も惜しくも戦災で焼失してしまい、大手門跡横に隅櫓だけが昭和42年に復元されているが、さすがにこれだけでは当時の威容を感じることは難しいだろう。

一方で当時の石垣は仙台城内の各所に残っている。まずは追廻と呼ばれる侍屋敷が建ち並んでいた広瀬川沿いに高さ2~3m程の石垣が続く。この広瀬川沿いが最前線の防衛ラインであったと思われる。

(下写真:追廻石垣)

また、現在仙台市博物館が建っている所がかつての三の丸であるが、これを取り囲む水堀が現在も残っている。

(下写真:三の丸水堀 )

大手門跡からは曲がりくねった坂道を登って行くことになり、しばらく行くと、山頂部分の本丸跡に入る。ここの高石垣は切石積で構築されており、最も高い北東部で何と17mもある。仙台城随一の見どころスポットかと思う。平成9年から石垣修復工事を経て平成16年に完成した。かつてはこの本丸高石垣上には艮櫓、東脇櫓、巽櫓と呼ばれるいずれも三重の隅櫓が建っていたという。

(下写真:本丸高石垣)

本丸跡は非常に広大で、その大きさは江戸城に次ぐ規模だというから、山城の中では特異だといえる。本丸山頂からは仙台市内を一望することができる。伊達政宗もここから城下を眺め何かしらの想いをめぐらせていたのだろうか。本丸跡には伊達政宗の騎馬像が悠然と立っている。

(下写真:本丸跡)

(下写真:伊達政宗像)

ちなみに仙台城を見学していて、とても残念に思ったのが、登城ルートが交通量が非常に多い道路となってしまっていることである。仙台市街に入ってくる車が頻繁に通ってくるし、東北大学のキャンパスが仙台城の裏手にあるので、バイクやバスが行き交うため、落ち着いて見学する事が難しい。残念!


4. 城のポイント

①奥州の覇者・伊達氏が築いた天険の牙城

②昭和42年に復元された大手門跡横の脇櫓 ⇒仙台城の大手門付近からかつての威容を想像する

③山頂に築かれた本丸の高石垣群 ⇒石垣技術の最高期に築かれた切込ハギの石垣に注目


0コメント

  • 1000 / 1000