根城

1. 城のデータ

[所在地] 青森県八戸市根城  

[築城年] 1334年  

[築城者] 南部師行

[遺 構] 本丸、中館跡、土塁、堀

[別 称] なし  

[形 状] 平城   

[登城年] 2010年5月5日

(※トップ写真:根城・主殿と常御殿跡)


2. 城の歴史

南北朝時代に南朝方の武将・北畠顕家は陸奥の国司として陸奥国に下向した。この時国司代として南部師行が顕家に同行した。この時1334年に師行は八戸の地に南朝方の拠点として城を築いた。これが根城の始まりである。

1590年の小田原合戦に際し、三戸南部氏は秀吉から本領安堵され、根城南部氏は三戸南部氏の配下とされた。秀吉による奥州征伐後は根城のうち防御施設は破却されることになる。1627年には主家の盛岡藩・南部利直の命により、根城南部氏は遠野城に移封となり、根城は完全に廃城となった。


3. 城の見どころ

根城は八戸市街の西方に位置し、ほど近くに馬淵川が流れる河岸段丘上に立地している。北側に馬淵川が流れ、東側は平野が広がり、西側は巨大な西ノ沢を挟んで南側へと丘陵斜面が続く。本丸を中心にその東側に中館、東善寺館、南東側に岡前館、沢里館などの曲輪を配した中世城郭の縄張である。各曲輪は独立していて、それぞれの曲輪間には堀切によって区画されていた。また、馬淵川と城との間には商人や職人の住む町屋が、城外東側には侍屋敷が建ち並んでいたという。

1627年の遠野国替え以降は完全に廃城となっていた根城であるが、平成6年の発掘調査等により、本丸に主殿をはじめ、柵、門、馬屋、納屋、鍛冶工房などの施設が復元されることとなった。また、主殿のそばにあったとされる常御殿、奥御殿も平面表示されている。今回再現された根城は南北朝時代に築城された城ということで、歴史が古く、天守や石垣などを代表する近世的な城ではなく、どちらかというと中世的、戦国時代の城を再現した城である。そのため、全国的にも珍しい、中世城郭が復元された初の事例ということで一躍脚光を浴びることとなった。

(下写真:東門)

(下写真:鍛冶工房)

本丸内に復元されたこれらの施設を見ていると、戦国時代の城に入ったような感覚を味わう事ができる。城というと天守や櫓、石垣を想像しがちだが、日本の城の歴史は安土城以降の近世的な城ばかりではないということを改めて再認識させてくれた。

復元された建物以外に注目すべきは堀切の巨大さであろう。特に本丸付近の周囲を巡る土塁は高く、空堀はかなり深い。最大幅で約20m、深さが9mもあり、堀の下から土塁・柵群を見上げると圧倒的な防御力を感じる。根城の周囲をめぐる堀のほとんどが断面V字状の薬研堀であった。

(下写真:空堀と主殿)

八戸市博物館と根城との間に八戸城の東門が建っている。この門はもともと根城の大手門であったものといわれている。また、八戸市博物館正面には南部師行の像が立っている。南部師行は北畠顕家の陸奥下向に従い、八戸を拠点に南朝方として、決して裏切ることなく戦闘を繰り広げた武将である。

(下写真:旧八戸城東門)

(下写真:南部師行像)


4. 城のポイント

①発掘により再現された中世城郭の城 ⇒主殿をはじめ、柵、門、馬屋などが復元

②本丸周囲を取り囲む空堀 ⇒幅広で、深い薬研堀

③八戸城東門が移築保存 ⇒もともと根城の大手門だったという

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