松前城

1. 城のデータ

[所在地] 北海道松前郡松前町字松城  

[築城年] 1849年  

[築城者] 松前崇広

[遺 構] 本丸、本丸櫓門、本丸御殿玄関、石垣

[別 称] 福山城  

[形 状] 平山城  

登城年] 2010年5月4日

(※トップ写真:松前城・天守)


2. 城の歴史

松前城は1849年にロシアの南下に備えるよう幕命を受けた松前崇広が本格的に築城を開始した事に始まる。海防を主眼になされた城は、海側に帯曲輪を設け塁上に7基の砲座を備え、城の左右には16基の台場を築いた。石垣を一二三段に築き背後は寺町地区で固めた我が国最後にして最北の和製城郭だった。

しかしながら戊辰戦争時、土方歳三率いる旧幕府軍の攻撃により松前城は落城してしまう。戦争の終結とともに松前氏が復帰するが、廃藩置県により城は廃城となる。残念ながら現存していた天守は1949年に焼失している。


3. 城の見どころ

松前城は北海道・松前半島の海側に面した街にある。松前町は鉄道が通っていないため、車以外で行こうとすると、JRの木古内駅から約40kmもバスに揺られて行く事になる(本数が少ないので交通機関で松前城に行く時は要注意!)ので結構大変だ。

本丸には昭和35年に復元された三重天守を中心に、現存する本丸櫓門とが建っている。天守と本丸御門がまっすぐに並ばず、わずかに振れて建つのが江戸軍学の見せどころといった感じである。並び立つ天守と本丸御門をのぞむ位置が松前城のベストアングルである。天守は三重の層塔式で、破風も最上層の屋根を除いて全く無く、とてもシンプルな意匠である。

(下写真:天守と本丸御門)

本丸櫓門は二階の渡櫓があるが、実は二階がないという珍しい構造であり、屋根が直接一階に葺き下る。防備上必要の無い背面を省略し、それにより二階の総高を低くして激寒の気候に備えたものらしく、全国でも唯一のものである。屋根は切妻造で城門の中では珍しく特徴的である。袖の石垣は精巧で、城内の中でも非常に加工度が高い。

(下写真:本丸御門)

そして、本丸御門付近に移築保存されているのが、旧本丸御殿の玄関部分である。大きな唐破風屋根を正面に向け、その下に庇をつけるのは全国の御殿玄関に多い形式である。かつての本丸御殿も玄関部分しか残っていないのはとても残念だが、城郭の御殿建築は全国的にも極めて少ない(川越城、掛川城、二条城、高知城)ので、貴重な遺構といえるだろう。

(下写真:旧本丸御殿玄関)

築城時期が不安定な情勢となりつつある幕末ということもあり、和式築城術の技法がいたるところに見られる。石垣は「亀甲積」みという積み方で、極寒の冬季における石垣の崩壊を防ぐために積石を六角形に整形してびっしり隙間なく積む技法である。また、寒冷地のため屋根には瓦葺は使われず、銅板葺き仕上げに統一されている。そのため全体的に軽快な印象を受ける。

(下写真:本丸内から天守を見る)

城の背後は寺町地区になっていて、有事の際は城郭の一部として活用されたものと思われる。松前城の周辺はよく整備されていて、この寺院地区を中心に松前家の墓所、昔の松前の街並みを復元した「松前屋敷」などがあり、散策するにうってつけである。

(下写真:松前家墓所)

4. 城のポイント

①火砲を意識した幕末最北の地に築かれた城 ⇒和式築城術で築かれた我が国最後の城

②復元された天守、本丸櫓門(現存)、本丸御殿玄関(現存)

③亀甲積みの石垣、銅板葺きの屋根 ⇒寒冷地仕様の特徴が伺える

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