1. 城のデータ
[所在地] 北海道函館市五稜郭町
[築城年] 1857年
[築城者] 江戸幕府
[遺 構] 兵糧庫、半月堡、堀、土塁、石垣
[別 称] 亀田御役所土塁
[形 状] 平城
[登城年] 2010年5月4日
(※トップ写真:五稜郭・箱館奉行所)
2. 城の歴史
五稜郭は日本で始めて西洋式築城術を採用した本格的城郭である。1853年のペリー来航以来幕末の不安定な情勢の中、幕府が北辺警備のために建造したものである。
1854年、箱館開港に伴い港に近い箱館山の山麓に箱館奉行所を開設するも、港湾防備の観点から内陸部の亀田に奉行所を移転する事になった。設計者に武田斐三郎が起用され、この五稜郭の計画がなされた。1868年には榎本武揚、大鳥圭介、元新撰組・土方歳三ら旧幕府軍が五稜郭を占拠し、新政府軍と激しい戦闘を繰り広げた場としても有名である。
3. 城の見どころ
五稜郭は16世紀から17世紀にかけてヨーロッパで発達した城塞をモデルにしたもので、日本発の西洋式築城術が盛り込まれた城である。「稜堡」と呼ばれる5つの突角をもつ土塁に、「半月堡」と呼ばれる一つの堡塁が付設し、その周囲を石垣積みによる堀が二重に巡らされている。「半月堡」は城の出入り口部の防御能力を最大限に高めるために設けられたもので、日本式築城でいう「馬出」にあたるものである。
五稜郭の南側に建つ五稜郭タワーに登ってみると、五稜郭を眼下に望むことが出来る。五稜郭の特徴的な星型プランと正面の「半月堡」の形が実によくわかる。また、函館の町並み(函館山から周辺の山々まで)を広く一望できるので、函館に行ったらタワーに登っていただくのがお勧めだ。
(下写真:五稜郭タワーから五稜郭を見る)
(下写真:半月堡)
「稜堡」の上に登ってみると、城の外側のようすが手に取るようにわかる。この「稜堡」と「半月堡」の両側から敵を十文字に攻撃できるように設計されていることが一目瞭然である。本来はこの「半月堡」は五つ計画がなされたが、幕府の予算の関係から一つに限定されてしまった。軍事的観点からすると、かなり不完全な形であったといえる。江戸幕府も幕末ともなると財政状況がかなり厳しかったようである。それでも、五稜郭を取り囲む水堀は幅広く、非常に堅固なつくりだ。
(下写真:広大な水堀)
西洋式城郭として知られる五稜郭であるが、日本式築城の技術もいくつか確認できる。それが石垣の最上端をひさしのように跳ね出している「跳ね出し石垣」と呼ばれるものである。これはよじ登る敵兵を跳ね返す工夫の一つであり、九州の人吉城などでも見られるものである。
(下写真:跳ねだし石垣)
五稜郭は旧幕府軍と新政府軍の間で戦われた戊辰戦争最後の舞台となったため、現存する建物は少なく、兵糧庫のみが唯一の現存遺構である。ただ、近代以降の城内の破却・改変をほとんど受けていないようで、完全な形として現在も残っているのは素晴らしいと思う。
(下写真:現存する兵糧庫)
また、当時の五稜郭中心にあった箱館奉行所の建物の復元工事が行われ、2010年7月に完成している。入母屋破風造りの建物で、当時は執務空間として利用されていたようである。屋根中央の宝形屋根は太鼓櫓である。
4. 城のポイント
①箱館戦争の舞台となった日本発の本格的西洋式城郭 ⇒箱館戦争では新政府軍により落城
②広大な堀、「稜堡」と呼ばれる土塁と石垣 ⇒砲撃による被害を最小限にするための工夫がされている
③現存する兵糧庫、復元工事が進む奉行所
0コメント