片倉城

1. 城のデータ

[所在地] 東京都八王子市片倉  

[築城年] 室町時代  

[築城者] 長井時広か

[遺 構] 土塁、堀

[別 称] なし  

[形 状] 平山城  

[登城年] 2013年2月10日

(※トップ写真:片倉城・本丸堀切にかかる橋)


2. 城の歴史

片倉城のあたりは平安時代、武蔵七党の一つ、横山党の領地であった。1213年、和田合戦により大江広元の領地となっている。片倉城の築城年代は正確には不明であるが、室町時代、大江氏を祖先に持つ長井時広が築城したと言われる。

長井氏以降の片倉城に関してもよくわかっていないが、戦国時代に領主となった北条氏により、近隣の八王子城や滝山城の支城となったと考えられている。1569年の三増峠の戦い(武田氏と北条氏の間で戦われた大規模な山岳戦)では、北条氏照、北条氏邦が出陣した城であるといわれる。


3. 城の見どころ

片倉城は、東京都多摩地方、八王子市の郊外、片倉という地の小高い丘陵(小比企丘陵)の上にあった。現在城跡は池、ビオトープ、回遊路、広場などを抱える「片倉城跡公園」として整備されており、八王子市民の憩いの地となっている。

城の立地は湯殿川と、その支流の兵衛川に挟まれた丘陵の東端に位置する。北・東・南の外周部は約30mもの急崖となっており、自然地形を存分に活かした城郭である。城は大きく本丸(あるいは主郭)と二の丸(二郭)の2つに分かれており、それぞれの曲輪は堀切で完全に遮断されている。二の丸の西方にも三の丸(三郭)が配された直線連郭式の構造である。さらには北方には腰曲輪、出丸などが設けられている。

今回、湯殿川が流れる城の北方から訪れたが、片倉城が立地する丘陵は険しい崖の高さには正直驚いた。また、城が健在であった当時城の周囲は沼地で囲われていたというから、攻め難く、守りやすいかなりの天然の要害の城という印象を持った。

(下写真:城山外周部の麓)

城郭の中枢である二の丸、本丸についてはかなり広い規模を持つ。特に二の丸は広大であり、中世の城郭としては異例なほどだ。片倉城は戦国時代北条氏の軍団出撃の拠点とされたということなので、防御の拠点というよりも、軍団の中継拠点のような位置づけであった可能性が高いようである。

(下写真:二の丸跡)

(下写真:二の丸外側の堀切)

本丸の一段低い位置には現在住吉神社が鎮座している。長井道広が1372年、摂津国住吉大社の勧請したものと言われる。この辺りは本丸を守護する帯曲輪であった。

(下写真:本丸跡)


4. 城のポイント

①大江氏の末裔・長井氏が築いた中世城郭 

②広大な規模の本丸、二の丸 ⇒曲輪の周囲は堀切で囲まれている

③湯殿川、兵衛川に囲まれ急崖上に建つ天然の要害


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