1. 城のデータ
[所在地] 栃木県佐野市富士町
[築城年] 平安時代か、1180年
[築城者] 藤原秀郷か、佐野成俊
[遺 構] 土塁、堀切、石垣、曲輪、井戸など
[別 称] 根古屋城、栃本城、牛ヶ城
[形 状] 山城
[登城年] 2013年2月11日
(※トップ写真:唐沢山城・本丸跡の唐沢山神社前石垣)
2. 城の歴史
唐沢山城は平将門の乱を平定し、百足退治でも知られる藤原秀郷の築城に始まると言われ、代々藤原氏の居城であったという。その後、藤原氏の流れをくむ足利俊綱の弟・成俊が1180年に佐野氏を称し、廃城となっていた城を復興させた。
戦国時代に入ると、上杉氏と北条氏との抗争の狭間にさらされてしまう。それでも1590年、豊臣秀吉の小田原攻めが始まると佐野房綱が唐沢山城を奪還し、秀吉から3万9000石を安堵される。しかしながら1602年、徳川家康より唐沢山城を廃城とし、春日岡(佐野城)に移転するように命じられる。
3. 城の見どころ
唐沢山城は栃木県佐野市の北方、標高245mの唐沢山に築かれた山城である。東武佐野線というローカル線を乗り継ぎ、城のある山頂までは徒歩40分ほどかかった。山頂までは車でも行けるように道路が整備されているが、駅前にはタクシーも何もない所だったので頑張って徒歩にて登城することにした。
現在山頂には藤原秀郷公を祀る唐沢山神社が鎮座している。城は神社のある本丸を中心として、三方の尾根を堀切により分断して、曲輪を連ねた縄張である。唐沢山城の一番の特徴は何といっても、土塁造りの多い関東地方の城郭でありながら、石造りで築かれた山城であるということだろう。城郭の中心部である本丸、二の丸、南城はほぼ石垣により構成されている。
山頂部に到達すると、まず大手枡形が目に入ってくる。近世城郭によく見られる屈曲した城の入り口である。おそらく当時はここに門などが構えられており、攻め手を塞ぐ最前線の防衛拠点であったと思われる。しかしながら、この石垣は明治期のものであるらしい。また、大手枡形の横には天狗岩と呼ばれる岩盤があり、岩上からははるか遠くを見渡すことができる。
(下写真:城の正面である大手枡形)
大吹の井戸、天徳丸跡を通り過ぎると三の丸に入るが、その前に四ツ目堀と呼ばれる堀切が設けられていることがわかる。唐沢山城内にはこのような堀切、竪堀が要所の至る所に築かれていて、現在でも保存状態が良好でよくわかる。
(下写真:三の丸の四ツ目堀)
二の丸は比較的大きな曲輪であり、連結して武者詰と呼ばれる曲輪があることから、戦時には兵士の詰所だったのだろう。二の丸から一段上がったところが、現在は唐沢山神社となっている本丸である。本丸、南城の周囲は高石垣となっていて、苔むしてはいるが唐沢山城内で一番の見どころである。
(下写真:本丸の高石垣)
(下写真:本丸の石垣)
(下写真:南城の石垣)
本丸から東方は城の搦手口にあたり、現在はあまり人が訪れない所となってはいるが、曲輪と堀切が幾重にも連なっており、城郭ファンとしては一応見ておくことをお勧めする。長門丸、金の丸、さらには北城と呼ばれる曲輪が続いていて、城の背後を厳重に守る拠点であったことがわかるだろう。
4. 城のポイント
①関東平野を一望できる要害に築かれた山城
②高石垣で築かれた本丸、南城 ⇒関東の山城では珍しい
③幾重にも連なる曲輪と堀切
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