上山城

1. 城のデータ

[所在地] 山形県上山市元城内  

[築城年] 1535年、1628年  

[築城者] 上山義忠、土岐頼行

[遺 構] 本丸土塁、水堀

[別 称] 月岡城、舞鶴城  

[形 状] 平山城   

[登城年] 2013年5月4日

(※トップ写真:上山城・模擬天守)


2. 城の歴史

1535年、上山義忠はそれまでの急峻な虚空蔵山に築かれた高楯城から天神森丘陵(月岡)の地に城を移した。これが現在の上山城の前身と言われる。1600年の関ヶ原の戦いでは、最上方となった上山城に、上杉方の直江兼続軍が押し寄せるも、地の利を活かして撃退に成功している。

1622年の最上氏の改易後は松平(能見)重忠が入封し、修築を実施、その後蒲生、土岐、金森と続き、1697年松平(藤井)氏が入り、以後松平氏が世襲し、明治維新を迎えている。


3. 城の見どころ

上山城は、羽州海道と米沢街道の分岐点に近く、古くから交通の要衝であった。実際、江戸時代には東北地方の各大名家により参勤交代時の宿場地としても利用されていた。現在はかみのやま温泉がある地として静かな町であるが、江戸時代当時、壮麗な上山の城下町は「羽州の名城」として知られ、非常に賑わいを見せていたといわれる。

上山城は丘陵最高頂部に本丸を置き、一段低く二の丸が取り囲む形であった。本丸、二の丸ともに水堀で取り囲まれていた。本丸東側に設けられた城門は門の上に二重櫓がそびえる、実に珍しい構造を持っていたという。

(下写真:曲輪間の堀切跡か)

しかしながら、1692年の土岐氏の転封とともに幕府の命により石垣も含めて取り壊されてしまい、それ以後大規模な修復がなされず、明治に入ってさらに堀の大部分が埋められてしまっている。唯一残るのは月岡神社の北側に水堀が一部残されている。これは本丸の西内堀であり、どこから水が供給されているのか未だに判然としない実に不思議な堀であるらしい。

(下写真:本丸西内堀の一部)

また、月岡神社裏手の坂道沿いに一部の石垣が現存する。しかし、これはかなり意識して見ないとかつての上山城の石垣の一部だとは気付かないのではないかと思う。

(下写真:御館坂に残る石垣)

現在二の丸跡に模擬天守が建てられている。これは1982年に建設された三重天守であり、場所・外観ともにかつての上山城のものとは異なっている。外観の印象としては同じく模擬天守として建てられた館山城、長浜城などと酷似している気がする。大きな入母屋破風を備える望楼型に、最上階には遠望用のための高欄と、模擬天守はだいたい定番化されているのかと感じた。

(下写真:模擬天守と城門)



4. 城のポイント

①上杉軍に攻められるも撃退に成功した城

②一部残る石垣と水堀 ⇒現・月岡神社裏手に現存する

③周辺には侍屋敷も残る

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