1. 城のデータ
[所在地] 秋田県仙北市角館町古城山
[築城年] 14世紀年
[築城者] 菅氏か
[遺 構] 曲輪、土塁、空堀
[別 称] 朝倉城、龍ヶ崎城
[形 状] 山城
[登城年] 2013年5月5日
(※トップ写真:角館城・青柳家表門)
2. 城の歴史
1590年、戸沢盛安は小田原に参陣し、豊臣秀吉により所領を安堵された。1602年に戸沢氏は常陸松岡に転封となり、代わって常陸水戸より佐竹義宣が出羽国秋田・仙北へ入り、角館城は義宣の弟・芦名盛重が1万5千石で入った。
1653年に芦名氏が断絶すると、北家の佐竹義隣が「所預」として芦名邸に入った。「所預」とは久保田藩の統治機構の一つで、一定地域の支配権を付与された佐竹族臣やそれに準じる重臣に任命された。佐竹北家は久保田藩の首座家老として角館に配され、義隣以後11代にわたり角館を支配した。
3. 城の見どころ
深い木立と、重厚な侍屋敷の街並みで知られる角館は1620年に角館地方を支配していた芦名盛重(義勝)時代に造られたものである。三方を山に囲まれ、玉川筋によって仙北平野に開いている地形は城下町を形成するに相応しい。軍事上も守りやすく、攻め難い地であったと思われる。
町を造るにあたり、古城山を北端として南に向けて三本の街路を設定し、350mで直進を避け、枡形としてさらに同じ長さで道路を伸ばし、ここまでを武家町とし、その南側を町人町とした。武家町と町人町との間には幅21mの「火除け」が設けられた。町が造られた1620年ごろには侍屋敷が80戸、商屋350戸数えられ、久保田藩の支藩としては最大の城下町を形成していた。
現在も古い街並みが残り、数多くの侍屋敷が現存している。代表的なものが石黒家、青柳家、岩橋家、河原田家などがある。特に最大のものが青柳家で、もとは芦名家譜代の家臣で、芦名家断絶後も角館「所預」佐竹北家の家臣となった家柄で、現在も母屋、薬医門、蔵、塀などが残っている。
(下写真:青柳家侍屋敷)
(下写真:河原田家屋敷玄関)
角館城は角館の街並の北端、院内川と檜木内川が合流する独立丘、標高166mの古城山にあった。侍屋敷が残る重要伝統的建造物保存地区から離れているためか、訪れる人は数少ない。
(下写真:古城山遠望)
高城、中城と呼ばれる曲輪が階段状に残されており、山頂部付近は広い削平地となっている。最上部に登ると角館の街並みが一望に見渡すことができる。角館城自体は1620年の時点で破却されてしまったらしい。それ以後は古城山と呼ばれ、山麓付近に居館が設けられていた。
(下写真:角館城曲輪跡)
4. 城のポイント
①侍屋敷が数多く残る戸沢氏の本城
②石黒家、青柳家、岩橋家、河原田家などの侍屋敷が残る武家町
③古城山に残る角館城曲輪 ⇒最上部からは角館の街並みが一望できる
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