秋田城

1. 城のデータ

[所在地] 秋田県秋田市寺内大畑  

[築城年] 733年ごろ  

[築城者] 朝廷  

[遺 構] 築地、土塁、建物跡、住居跡

[別 称] なし  

[形 状] 丘城   

[登城年] 2013年5月5日

(※トップ写真:秋田城・外郭復元東門)


2. 城の歴史

秋田城は、朝廷が東北の蝦夷対策として秋田村高清水岡に築いたもので、当初は出羽柵と呼ばれていた。760年ごろ秋田城と言われるようになり、さらに次官国司である秋田城介が置かれ、奈良、平安時代を通じて、出羽国の軍事・政治の中心となる。

878年に勃発した俘囚の大規模反乱(元慶の乱)の際、俘囚側に秋田城が占拠される事態に至っている。939年にも俘囚が蜂起、秋田城は攻撃を受けるなど、たびたび被害を受けることが多かった。1050年前後の前九年の役の影響で秋田城介が城に常在しなくなり、秋田城は衰退したと考えられている。


3. 城の見どころ

秋田城は日本の古代(奈良時代から平安時代)にかけて、出羽国秋田に置かれた城柵である。現在は城跡の一部が高清水公園となっている。1939年に国の史跡となって以来、学術調査が繰り返し行われており、官庁跡や土塀跡などが確認されている。当初、秋田城は訪れる予定ではなかったが、時間があったので久保田城から角館に向かう途中、急遽変更して秋田城を訪れることにした。古代の城郭はこれまで訪れた数は少ないが(鬼ノ城など)、この秋田城は古くから発掘調査などが行われ、復元整備も進んでおり、古代の城を知るにはうってつけである。

秋田城の見所は政庁エリアと、外郭東門と東大路があるエリアだろう。政庁エリアは城のほぼ中央に位置し、周囲を築地塀で囲われていた。現在政庁門、築地塀が復元されている。政庁などの建物跡がコンクリート敷きで位置がわかるように整備されている。時代により政庁内の建物が変化していたようで、時代ごとに変化する政庁建物のジオラマが政庁跡付近に設けられている。

(下写真:政庁復元門)

(下写真:政庁跡)

外郭は、政庁を築地塀で大きく取り囲む防衛ラインのことで、築地塀が一部復元、外郭東門が復元されている。東門は軒先につく軒瓦がない、舟肘木を利用しているなどの特徴がある。近世城郭の城門と違ってどれだけの防御力があったか疑問に感じるところだが、この時期の城は防御力よりも朝廷の権威を見せつけるところに意義があったのだろうと思う。東大路は政庁に向かう道路で幅が12mもある。

(下写真:復元築地塀)

また、鵜ノ木地区には古代水洗トイレが復元されており、大陸からの使者も利用されていたということで、実に興味深い遺構だ。

(下写真:古代水洗トイレ)


4. 城のポイント

①奈良・平安時代に出羽国の政治・軍事の中心となった城

②政庁跡、築地塀、外郭東門、東大路などが復元整備されている

③古代城柵の重要な典型例

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