石垣山一夜城

1. 城のデータ

[所在地] 神奈川県小田原市早川  

[築城年] 1590年  

[築城者] 豊臣秀吉  

[遺 構] 天守台、本丸、二の丸、三の丸など

[別 称] 太閤一夜城  

[形 状] 山城   

[登城年] 2013年5月22日

(※トップ写真:石垣山一夜城・南曲輪石垣)


2. 城の歴史

1589年、豊臣秀吉は小田原北条氏に対して宣戦布告、22万もの大軍を動員し、1590年に小田原城を包囲した。その際、小田原城の西南約3km地点に石垣山一夜城を築いた。一夜のうちに城を築いたように見せたことから一夜城の名があるが、実際は80日間かけてつくられたといわれている。

秀吉が石垣山一夜城に本陣を移してから間もなく、敵将の北条氏直は降伏し、小田原合戦はついに終結した。その後秀吉は関東の支配者となった徳川家康の家臣であり、小田原城主の大久保忠世にこの一夜城を与えたといわれる。


3. 城の見どころ

石垣山一夜城は、JR東海道線早川駅から徒歩だと小1時間ほどかかる山頂にある。城跡のすぐ前まで道路が整備されているので車でいくと数十分でいけると思うのだが、今回は徒歩にて登っていったので、正直結構キツかった。山道の途中には「石垣山に参陣した武将たち」という説明板がいくつかあり、関連の各戦国武将達の説明を見ながら登っていくことができる。

城の最高地点である天守台付近の標高が約260mである。これは小田原城の本丸付近より227mほど高く、小田原城下はもとより足柄平野を眼下におさめる絶好の地に築かれている。(訪れた日は残念ながら小田原市街方面に霞がかかっていたので眺望が良くなかったが・・・)まさしく小田原城包囲戦を実行するのに、これ以上にない最適の地といえると思う。

(下写真:小田原方面を遠望)

秀吉が小田原城の北条軍を驚かせるために一夜にして城を築いたように見せかけたというのは誇張だとしても、およそ80日間で城を築いたというのでも驚きに値する。また、何といっても陣城でありながら、東国では珍しい総石垣造りの本格的な近世城郭であるという点が最大の特徴だと言えるだろう。

天守台を備えた本曲輪を中心に、その南西側に西曲輪、北側に二の丸を、南東側には南曲輪を配置し、全て石垣で固められている。石垣は廃城後の未整備や、関東大震災によりかなり崩れてしまっているところが多いが、要所では秀吉が西国から呼び寄せた穴太衆らによる荒々しい石垣が良く残っている。

(下写真:本曲輪石垣)

(下写真:天守台跡)

特に良い状態で残っている所は南曲輪の南面と西面の石垣である。隅角部では算木積がまだ未完成の段階であるが、巨石を積み上げた高さと、荒々しい力強さには、ほぼ天下を手中におさめた秀吉の力を実感させられる。

(下写真:南曲輪石垣)

また、二の丸のさらに北側には井戸曲輪と呼ばれる曲輪がある。四方を石垣で固め、中央を掘って、谷の湧き水を利用した井戸を設けている。現在でも水が湧き出ていた。井戸曲輪周辺の石垣も良く残っている。

(下写真:井戸曲輪跡)

この城は長かった戦国時代の終結、そして実用から権威の象徴として移り変わる一つの契機となった城であると思う。



4. 城のポイント

①小田原合戦の際に築かれた総石垣造りの城

②各曲輪に残る野面積みの石垣(南曲輪、井戸曲輪付近の石垣が良く残っている)

③小田原城を眼下に見下ろす絶好の地にある

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