品川台場

1. 城のデータ

[所在地] 東京都港区、品川区  

[築城年] 1653年  

[築城者] 徳川幕府  

[遺 構] 石垣、土塁、陣屋跡、弾薬庫跡

[別 称] なし  

[形 状] 砲台   

[登城年] 2013年6月9日

(※トップ写真:品川台場・三番台場東面)


2. 城の歴史

1853年のペリー来航後、江戸幕府は再来するアメリカ艦隊に備えて、江戸湾に台場の建設に着手する。築城にあたって、江川太郎左衛門英龍はオランダ兵学者であるエンゲルベルツの文献を基に考案したとされている。

当初計画では二列十一基を建設する予定であったが、幕府の財政事情により計画が縮小され、一・二・三・五・六番の五基が完成したのみで終わった。また、1854年に日米和親条約が結ばれると台場の必要性が薄れてしまった。現在では三番台場と六番台場が国の史跡に指定されている。


3. 城の見どころ

フジテレビやレインボーブリッジなど、「お台場」としてよく知られる東京都港区の台場であるが、かつて江戸幕府が幕末に黒船襲来に備えて江戸湾沿岸に築かれた砲台跡であったことはあまり知られていない。現在三番台場については、東京都によって整備され、台場公園として一般に開放されている。

大きさは外周約150m程のほぼ正方形をしており、海面からは約5~7mの高さの石垣積の土手が築かれ、土手上には黒松が植えられている。石垣は切石が利用されていて、隙間なく綺麗に積まれている。隅部は完成された算木積となっていて、石垣積みの最高水準であることがわかる。また、石垣の頂部は、五稜郭でも見られるような跳ね出し石垣となっていて、よじ登ってくる敵兵を撃退できるつくりとなっている。

(下写真:跳ね出し石垣)

外周をめぐる広大な土塁内部の平坦なくぼ地には、陣屋跡、弾薬庫跡などがある。陣屋跡は台場の中心に位置し、当時の大きさが分かるように整備されている。一方の弾薬庫は土塁の一角につくられており、戦時を想定して弾薬などが誘爆しないためのつくりなのだろうと思う。また、北側には舟入(船着き場)が残っている。現在こそ海浜公園と三番台場は陸続きとなっているが、建設された当時は海に浮かぶ砲台だったわけで、兵士の行き来は当然船だったことを連想させてくれる。

(下写真:三番台場内部)

三番台場東南面の土手上からはフジテレビなどの建物が、北側から西側にかけてはレインボーブリッジや海越しに対岸のビル群などを遠望することができ、見晴らしが素晴らしく良い。実際登城した当日もたくさんの人がいるのには驚いた。私のように歴史探索で訪れるというよりは、景観の良さでこの台場公園(台場跡)は意外と人気のスポットなのかもしれない。

(下写真:三番台場東面から対岸を見る)

三番台場の西方向には六番台場を望むことができる。しかし、国の史跡に指定されているものの、現在は人が立ち入ることができない。現状保存を目指しているものの、樹木が多く、カワウの巣窟となっているとか。できれば今後整備保存が進み立ち入ることができればと思う。今回は行けなかったが、レインボーブリッジから六番台場を見下ろすことができるようである。

(下写真:六番台場を望む)


4. 城のポイント

①幕末、外国船に備えて築かれた砲台跡

②海面から築かれた石垣、土塁、陣屋跡、弾薬庫跡、舟入跡

③石垣の頂部には跳ね出し石垣が利用されている

0コメント

  • 1000 / 1000