1. 城のデータ
[所在地] 東京都八王子市高月町、加住町、丹木町
[築城年] 1521年、1558年ごろ
[築城者] 大石定重、北条氏照
[遺 構] 曲輪、石垣、土塁、堀切、土橋、溜池など
[別 称] なし
[形 状] 山城
[登城年] 2013年12月23日
(※トップ写真:滝山城・本丸と中の丸間の堀切)
2. 城の歴史
滝山城は1521年、関東管領・山内上杉氏の重臣で、武蔵国守護代の大石定重が築いた城であるとされる。1558年ごろには北条氏康の三男・氏照が大石定久の娘婿となったため、滝山城は北条氏による大改修を受けることとなった。
1569年には甲斐の武田信玄が関東に侵攻し、滝山城北の拝島に布陣、別働隊の小山田信茂隊が小仏峠から侵入し、滝山城三の丸まで陥落させられるが、ついに二の丸までは落とされなかった。この戦いより氏照はより堅固な城を築くため八王子城に移ることとなり、滝山城は1584年ころに廃城となっている。
3. 城の見どころ
滝山城は多摩川が形成した河岸段丘上に位置し、高さは約80mほどで、北側から東側にかけては断崖地形の要害の地に築かれていた。滝山城の北側には河越道の渡河地点である「平の渡し」があり、水運の重要拠点でもあった。また、近くを古甲州街道も通り、滝山城は多摩地方の中心に位置していた。
城は広い山稜をフルに活用した巨大山城で、規模の大きな曲輪群を横堀が取り巻く城郭である。北条氏ナンバー2の実力者である氏照が居城としただけあって、その城域の大きさのため、見学に3時間以上も要した。縄張は本丸を城の中心に、中の丸、二の丸、千畳敷、三の丸、小宮曲輪などがある。北端のやや離れた場所に山の神曲輪、二の丸東馬出の外郭には信濃屋敷、刑部屋敷、カゾノ屋敷といった家臣の屋敷が配置されていた。
(下写真:滝山城跡石碑)
滝山城の第一の特徴は曲輪群の外周部に横堀が執拗なくらいに取り巻いていることである。一番の見どころは城の西外周部の小宮曲輪、城の中枢である二の丸の南西側から半周以上を取り巻いている横堀である。いずれの箇所も戦国期の山城の堀とは思えないほど幅が広く、深くつくられている。
(下写真:小宮曲輪の横堀)
(下写真:二の丸南西横堀)
第二の特徴は曲輪の主要な入口部分は枡形虎口とし、二の丸虎口の前面(東、西、南)には三か所とも馬出が設けられており、厳重な防御態勢が構築されていたところである。現状で枡形虎口が良好に残っているところは千畳敷、二の丸南、東、そして本丸の東、南の虎口である。特に本丸東側の虎口はL字状に折れ曲がる典型的な枡形虎口で、進んでいくにつれて侵入しにくいように幅が狭まっていくという形状であったという。
(下写真:本丸東の枡形虎口)
三か所の馬出をもつ二の丸は城の守りの中心として位置づけられていたことを示しており、複雑な形状は北条流築城術が随所に散りばめられている。南側の馬出は小さな馬出の外側に大馬出を連続させた重(かさね)馬出と呼ばれる珍しい形状だ。
本丸と中の丸の間の堀切は巨大で、その堀切にかかる通路は有事の際に引き込むことのできる「引橋」であったといわれる。現在は引橋とはなっていないが、往時を想像するに十分である。
4. 城のポイント
①堀と馬出で防御した北条氏の巨大山城
②各曲輪群を取り巻くように築かれた巨大な横堀
③二の丸前面に築かれた三か所の馬出、本丸東、南側の枡形虎口など
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