常陸府中城

1. 城のデータ

[所在地] 茨城県石岡市総社 

[築城年] 正平年間(1346年~1370年) 

[築城者] 大掾詮国

[遺 構] 陣屋門、土塁

[別 称] 府中陣屋  

[形 状] 陣屋  

[登城年] 2014年5月3日、2014年12月14日

(※トップ写真:府中城・改修復元された陣屋門)


2. 城の歴史

現在の茨城県石岡市は古来より、常陸国の国衙が置かれた場所であり、常陸国府として政治・経済・文化の中心であったが、10世紀半ばの平将門の乱によって荒廃した。その後正平年間に大掾(馬場)詮国によって府中城が築城された。しかしながら1590年に、大掾氏は佐竹氏によって滅ぼされてしまう。

その後六郷氏、皆川氏と続き、18世紀初頭に、水戸徳川頼房の五男・松平頼隆が府中2万石を与えられ入封する。これ以後、水戸徳川家の支藩として明治まで至ることになる。


3. 城の見どころ

常陸府中城は現在の石岡小学校の近辺にあった城郭である。恋瀬川北岸の低地に突き出た台地上に立地し、台地西端に中心となる本丸を置き、そこから東側に二の丸、そして三の丸が連なり、いくつかの出丸を設けた縄張であったとされる。

古絵図によれば、当時大堀切や横堀などがめぐる城郭であったようであるが、現在は市街地化によってその遺構はほとんど残っていない。わずかに三の丸があったとされる現在の石岡小学校の正門あたりに高さ5mほどの土塁の一部が残っており、かつての城の痕跡をたどることができる程度である。

(下写真:石岡小学校に残る土塁)

(下写真:石岡小学校に残る土塁)

また、石岡小学校の裏手には江戸時代(文政年間)に建てられたという陣屋門が移転現存しているはずだったのだが、東日本大震災の時の被害で補修中のためなのか、私が訪れた時には何も無かった・・・早く補修工事が完了してくれるのを望むばかりである。本来、陣屋門は現在の石岡市民会館の敷地内にあったようで、そこには現在「石岡の陣屋門跡」の石碑がたっている。

(下写真:石岡の陣屋門跡の石碑)

石岡はかつて国府が置かれた地で、近くには国分寺や国分尼寺跡といった旧跡、そして国府や府中といった地名が残っており、ここがかつて常陸国の中心であったということがよくわかる。


-再登城後の追記-

2014年12月に再訪すると、石岡市民会館前に陣屋門が改修復元が完成していた。古材を使いつつ、瓦や付属する塀などには新規の材料が使われて復元されていた。格式ある高麗門形式の城門で、水戸徳川家の分家たるにふさわしい構えである。

(下写真:改修復元された陣屋門)


4. 城のポイント

①水戸徳川家支藩の城(陣屋)

②現石岡小学校に残る土塁と陣屋門 ⇒陣屋門は改修復元されている

注)ちなみに、府中城という名称の城は全国に他に数多く存在するため、今回混同を避ける目的で、ここでは昔の国名を前につけて「常陸府中城」としている。 

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