1. 城のデータ
[所在地] 栃木県下都賀郡壬生町本丸
[築城年] 1462年
[築城者] 壬生胤業
[遺 構] 曲輪、土塁、水堀、移築門
[別 称] なし
[形 状] 平城
[登城年] 2014年8月20日
(※トップ写真:壬生城・本丸跡の城址公園)
2. 城の歴史
壬生城は1462年に宇都宮氏家臣の壬生胤業によって築かれたと言われる。約100年もの間、壬生氏の主要な城だった。しかし壬生氏は小田原の北条氏に味方していたため、1590年豊臣秀吉の小田原攻めにより北条氏とともに滅びることになる。
1601年以降、日根野氏、阿部氏、三浦氏、松平氏、加藤氏というようにたびたび城主が入れ替わった。そして、1712年、鳥居忠英が近江国水口から壬生に移ってからは、明治維新までの約160年間を鳥居氏が代々城主を務めることになる。
3. 城の見どころ
壬生城は思川と黒川に挟まれた台地上に位置する城郭である。かつては本丸、二の丸、三の丸、東曲輪、下台曲輪、正念寺曲輪の6つの曲輪からなり、これらの曲輪は輪郭式に土塁と堀で囲まれていたという。大手門には三日月堀をもつ丸馬出があったとされるが、遺構の多くは市街地化にともない消滅している。天守や櫓などの建物は建てられなかったそうであるが、本丸内部には御殿があり、江戸時代初期には徳川将軍の日光社参の宿舎に使われた。これは同じ栃木県内の宇都宮城も同様である。
現在、壬生城跡は本丸跡付近が城址公園として整備されている。敷地内は壬生中央公民館と、歴史民俗資料館となっている。さらに本丸南西部の土塁と堀の一部が整備されており、わずかに近世城郭の雰囲気を伺わせてくれる。また、城址公園の入口(二の丸虎口付近)には巨大な高麗門が建っているが、これは公園の整備にあたって復元されたものである。
(下写真:復元城門)
あわせて訪れておきたいのが、城址公園の西側にある精忠神社である。城主であった鳥居氏といえば、徳川家康の家臣であり、1600年関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いで壮絶な戦死を遂げた鳥居元忠の子孫にあたる。この精忠神社は徳川家に功績のあった元忠を祀る神社である。コンパクトな神社ではあるが、唐門、本殿ともに立派な社である。
(下写真:精忠神社唐門)
(下写真:精忠神社本殿)
なお、壬生町から少し離れた小山市本郷町に壬生城から移築されたという城門がある。薬医門形式で、若干後世の改変らしきものが見られるが、それでも当時の貴重な遺構といえる。現在はお寺の入口の門になっているようだ。
(下写真:移築城門)
4. 城のポイント
①徳川家に功績のあった鳥居氏の居城
②小山市内に移築された城門
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