1. 城のデータ
[所在地] 兵庫県明石市新明町
[築城年] 不明
[築城者] 別所吉親、高山右近
[遺 構] 内堀、侍屋敷長屋門
[別 称] 林ノ城
[形 状] 平城
[登城年] 2014年9月11日
(※トップ写真:船上城・主郭跡)
2. 城の歴史
船上城は室町時代に播磨の豪族・赤松氏が砦を築き、その後三木城の別所長治の叔父・別所吉親や蜂須賀小六正勝などが居城とした。1585年、国替えにより高山右近が明石海峡を押さえ、かつ大坂城を守る要所として再整備し、城下町を建設した。しかし、右近はキリシタン禁止令により領地没収となる。
1617年に小笠原忠真(忠政)は当初船上城に入ったが、新たに明石城を築いたため、船上城は廃城となった。新規に築城された明石城には、近場の船上城から資材など、移されて再利用されたものが数多くあるといわれている。
3. 城の見どころ
船上城は明石城の南西およそ約2km、明石川河口の西岸に位置する古城である。明石城を登城した際に足を延ばして見学することにした。明石市の中心から少し離れたところにあり、当初船上城跡の位置を特定するのにかなり苦労した。というのも、主郭跡がある古城稲荷社は田園の中にあるため、正規の登城路がなくて、周辺の田畑のあぜ道から入らなければならないからだ。
(下写真:主郭跡に鎮座する古城稲荷社)
船上城は築城当時、二重の建物の上に望楼を取り付けた三重の天守があり、城門、塀や港を総構で囲んだ城郭であったと伝わるが、現在は見る影もないくらいに城郭の遺構はほぼ消失している。稲荷社があるあたりが主郭といわれ、周りの田畑が内堀跡だと思われる。稲荷社も訪れる人もなく寂れた社であった。
船上城関連の唯一の建築遺構として、織田家長屋門がある。これは現在、明石市指定文化財となっている。明石藩築城当時から歴代家老・重臣が住んでいた屋敷跡で、この長屋門は船上城から移築されたものと伝えられている。長屋門は明石城のちょうど南西側、内堀の向かいに堂々と建っている。
(下写真:織田家長屋門)
4. 城のポイント
①明石城の前身であった城 ⇒別所吉親、高山右近らが城主となった
②明石城近くにある織田家長屋門
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