羽生田城

1. 城のデータ

[所在地] 栃木県下都賀郡壬生町羽生田  

[築城年] 1501~1504年  

[築城者] 壬生綱重

[遺 構] 三の丸、土塁、空堀

[別 称] なし  

[形 状] 平城  

[登城年] 2014年8月20日

(※トップ写真:羽生田城・三の丸跡の明神宮)


2. 城の歴史

羽生田城は文亀年間(1501~1504年)に宇都宮氏家臣である壬生綱重が黒川東岸の段丘上に位置する地に築いたものであるという。これは、壬生城を本拠としていた壬生氏が北隣の鹿沼氏を攻略するための支城として築城されたといわれる。

壬生義雄の時代には壬生氏は宇都宮氏から離反し、小田原の北条氏に従っていた。そのため、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐により壬生氏は北条氏とともに滅亡することになり、羽生田城もこの時に廃城になった。


3. 城の見どころ

羽生田城は西側を黒川が流れ、南側が急な崖地、東側が沼沢という戦国期の城郭に相応しく天然の要害の地に築城されていた。なるほど、城跡周辺を歩いてみると、城の南側はかなり高低差があり、また東側は現在は水田(湿地)となっており、往時の状況をある程度想像することができるだろう。

現在城跡のうち、本丸、二の丸は羽生田小学校の敷地となり、遺構は残念ながら残っていないが、小学校の西側には三の丸の土塁と空堀が良好な状態で残っている。

(下写真:三の丸土塁)

空堀は深さ約10m、幅約12mという戦国期の城郭としてはかなり大規模なものである。この空堀はなかなか見ごたえがある。また、三の丸の城跡の一部は明神宮という小さな社となっている。

(下写真:三の丸空堀跡)

今回訪れたのが夏場の8月だったため、生い茂る木々や草などによって行く手を阻まれてかなり見学しにくかったのが何とも残念だった。現地には「三の丸土塁・堀址」と書かれた説明板があるのだが、半分草木に隠れてしまっていた。決して有名ではない戦国期の城跡とはいえ、もう少し城跡の整備がなされていれば有難いのだが、と見学していて痛烈に思った。

(下写真:三の丸土塁・堀址)


4. 城のポイント

①羽生田小学校西側に残る三の丸の土塁

②三の丸の大規模な空堀跡

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