有岡城

1. 城のデータ

[所在地] 兵庫県伊丹市伊丹  

[築城年] 不明  

[築城者] 伊丹氏

[遺 構] 石垣、土塁、堀跡など

[別 称] 伊丹城  

[形 状] 平城  

[登城年] 2014年9月14日

(※トップ写真:有岡城・本丸跡の石垣)


2. 城の歴史

南北朝時代から摂津の地方領主として力を伸ばした伊丹氏によって伊丹城が築かれたといわれる。その伊丹氏を破って城に入ったのが織田信長の家臣であった荒木村重であった。荒木村重は伊丹城主として摂津37万石を任されることとなった。村重は有岡城と改名し、日本最古ともいわれる総構(侍町、町屋地区までを堀と土塁で取り囲んだ防御ライン)を築いた。

しかし、1578年突如として村重は信長に反旗を翻し、1年に及ぶ籠城戦を戦ったが、城は落城。有岡城は池田元助(之助)が城主となるが、1583年に早くも廃城となっている。


3. 城の見どころ

有岡城は荒木村重の大改修により近世城郭として生まれ変わり、侍町や町屋地区までを堀と土塁で取り囲んだ総構によって構成された城郭であった。総構は、東西0.8km、南北1.7kmの大きさを誇り、当時としては最新鋭の城郭であったと思われる。また、当時城内に「天守」があったといわれるが、実際どのようなものであったのかについてはよくわかっていない。

現在城跡としては、主郭部(本丸)の一部が残るのみである。JR伊丹駅のすぐ西側に史跡公園として整備されており、本丸跡に土塁、堀、石垣の一部が整備されている。公園のまわりにある石垣はどうやら公園整備時に復元されたもののようだ。

(下写真:有岡城跡碑)

(下写真:本丸堀跡)

公園の一角にある土塁の下に石垣を積んだ腰巻石垣は、おおぶりな石を使って積まれており、わずかながらではあるが、荒木村重が築かせた当時の城郭の痕跡を感じさせてくれる。

公園内には井戸、建物礎石なども整備されている。これらは1975年から始まった発掘調査で発見された遺構だ。どうやらこの主郭部(本丸)には生活空間として利用されていたようだ。

(下写真:本丸跡の建物礎石)

有岡城の総構の外郭部には出城のような役割を持った砦が北側、西側、南側に計3ヶ所あった。北が岸の砦、西が上臈塚砦、南が鵯塚砦と呼ばれていた。そのうち、北の岸の砦については、現在猪名野神社の境内の一角に土塁跡、堀跡が現存している。有岡城史跡公園(本丸跡)からはだいぶ離れているが、良好な状態で遺構が残っているので、ぜひ見ておきたいところだ。1579年の織田信長による有岡城攻めで、荒木村重の家臣・渡辺勘大夫が守り、織田軍の猛攻に耐え切れず自害したといわれる。

(下写真:岸の砦土塁跡)


4. 城のポイント

①荒木村重が築かせた城郭 ⇒当時は総構によって城下町を取り囲んでいた

②史跡公園に残る腰巻石垣、土塁、堀跡

③猪名野神社境内に残る、岸の砦土塁、堀跡

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