1. 城のデータ
[所在地] 茨城県つくば市谷田部
[築城年] 1619年
[築城者] 細川興元
[遺 構] 陣屋玄関、移築門
[別 称] なし
[形 状] 陣屋
[登城年] 2014年12月7日
(※トップ写真:谷田部陣屋・陣屋玄関)
2. 城の歴史
谷田部藩は、肥後54万石熊本藩の分家である。初代藩主・細川興元は、1610年下野国芳賀郡に1万石の領地を賜り、茂木に本拠を定めた。1615年大坂夏の陣に参陣し、戦功をあげたことにより、常陸国筑波郡・河内郡内に6200石を加増され、藩庁を茂木から谷田部に移し、谷田部藩が成立した。
陣屋は敷地面積6800坪、北方と東方には堀を巡らし、内部には役所・藩主住居・文館・武館・馬場等があった。幕末谷田部藩は財政危機に陥り二宮尊徳の仕法により藩政改革を行った。明治の廃藩後、小学校舎や筑波郡役所として利用された。
3. 城の見どころ
谷田部藩祖である細川藤孝(幽斎)の次男・興元は、兄の細川忠興と上手くいかず、1600年の関ヶ原の戦い後に細川家を出奔した後、徳川秀忠に召し出され、茂木に所領を与えられて諸侯に列せられたという。徳川将軍家のお膝元である関東地方に外様大名の分家があったというのは正直意外であった。
谷田部陣屋は現在谷田部小学校の敷地となっており、建築遺構としては、小学校校門の近くに御殿玄関部分のみが移築されて残っている。二代藩主・興昌によって築かれたものという。現在は公民館として使われており、茅葺きから瓦葺きへなど、後世以降の改変が多く見られるが、屋根の破風飾りなどに細川家の家紋である九曜紋が残されていることがわかる。
(下写真:陣屋玄関)
谷田部小学校の敷地内には谷田部城址があり、その横には歴史ある小学校らしく、谷田部藩の藩政改革に影響を与えたという二宮尊徳像が立っている。また、谷田部城址と二宮尊徳像の間には「千歳松」の碑が立っている。1750年頃に植えられたもので、藩政時代の名残として校庭にあったようだが、1993年に枯死してしまったらしい。その他、陣屋跡地周辺を散策してみたが、土塁や堀などの遺構は見当たらなかった。
(下写真:谷田部城址)
また、つくば市北中妻の民家には谷田部陣屋の門が移築されて現存している。江戸時代、谷田部藩は小藩だったため、本家の熊本藩に財政面で頼ざるを得なかったというが、この移築門は実に格調高い巨大な薬医門であり、九州随一の大名・細川家の分家たるにふさわしい構えだと思った。しかも、民家の表門として今も健在で、保存状態も良好であり、現在の陣屋門所有者のこれまでの努力がうかがわれるだろう。
(下写真:移築城門)
4. 城のポイント
①肥後細川氏の分家が築いた陣屋
②谷田部小学校近くに陣屋玄関が残る ⇒細川家の九曜紋がみられる
③つくば市内に移築され現存する陣屋門 ⇒格調高い薬医門形式
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