水ヶ江城

1. 城のデータ

[所在地] 佐賀県佐賀市中の館町

[築城年] 不明

[築城者] 龍造寺康家

[遺 構] 堀跡

[別 称] なし

[形 状] 平城

[登城年] 2017年12月2日

(※トップ写真:水ヶ江城・龍造寺隆信公碑)


2. 城の歴史

水ヶ江城は15世紀中ごろ、龍造寺康家によって築城された戦国時代の平城である。当初は館程度の規模であったが、龍造寺家兼が改修し城塞化した。龍造寺隆信はこの城で生まれたと伝わる。隆信が龍造寺本家の当主になると、弟の龍造寺長信に城主として守らせている。龍造寺氏は村中城(現在の佐賀城)と、この水ヶ江城を拠点に有力な戦国大名に成長していった。

その後、鍋島氏が佐賀城を築城したことに伴い、水ヶ江城は廃城になり、龍造寺氏系統の家臣団の屋敷地となった。


3. 城の見どころ

水ヶ江城は、村中城とともに龍造寺氏の基盤となる拠点城郭であり、分家の水ヶ江龍造寺氏代々の居城であった。内部は5つの館(西の館、中の館、東館など)に分かれており、それぞれ堀が巡らされていたという。のち、鍋島直茂により本館に4つの寺院が建立された。

現在でも中の館児童公園や赤松小学校付近には縦横に無数の水路が見られるが、おそらくは水ヶ江城の館の間に設けられた堀の跡と思われる。

(下写真:中の館児童公園隣の水路)

現在の赤松小学校付近が西の館、中の館、中の館児童公園付近が東館であり、その東に本館が配置されていた。現在城の遺構は残されていないが、中の館町という地名として現在も残っている。

また、中の館児童公園には、龍造寺隆信誕生地として大きな石碑と、隆信公胞衣塚が建てられており、九州に一時期覇をとなえた龍造寺氏を偲ぶ遺構となっている。

(下写真:隆信公胞衣塚)

龍造寺隆信は、肥前、筑前、筑後、肥後、豊前、壱岐、対馬を支配し、「五州二島」の太守とうたわれ、傑出した武略で島津氏とともに九州を二分する勢力であったが、1584年の沖田畷の戦いで島津・有馬連合軍に敗れた際、隆信は敗死し、その後龍造寺氏は配下の鍋島氏に吸収されていくことになる。


4. 城のポイント

①水ヶ江龍造寺氏の城 ⇒村中城とともに龍造寺氏の拠点城郭

②龍造寺隆信公の碑、隆信公胞衣塚 ⇒龍造寺隆信の誕生地


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