御着城

1. 城のデータ

[所在地] 兵庫県姫路市御国野御着

[築城年] 1519年

[築城者] 小寺政隆

[遺 構] 土塁、堀

[別 称] 茶臼山城、天川城

[形 状] 平城

[登城年] 2017年12月12日

(※トップ写真:御着城・本丸跡)


2. 城の歴史

御着城は室町時代、赤松氏の播磨支配の拠点で、のち小寺氏の居城となった。1519年に小寺政隆が築城したといわれる。城内に山陽道や城下町を取り込んだ惣構えの平城であった。近世の絵図によると、中核部分に主郭と曲輪、西から南に天川を用いた二重の堀、北と東に四重の堀があり、外郭部に屋敷や町家が見られる。

1575年、織田氏の中国地方攻略で、羽柴秀吉が播磨に侵攻する。小寺政職は家老の黒田孝高(官兵衛)の進言により当初織田氏に通じたが、別所氏や荒木村重の謀反に同調したため、1579年に羽柴秀吉に攻められ落城、その後廃城となった。


3. 城の見どころ

御着城は姫路市の南東部・天川下流域東岸に位置する。御着駅から徒歩10分ほどにあり、現在本丸跡が御着公園となっている。御着駅から歩いていくと、途中旧山陽道が東西を走っており、御着の位置が交通の要衝であったことがわかる。

かつての御着城本丸付近にあたる国道2号線の南側の一角に小寺大明神が鎮座している。小寺氏一族と御着城に関係する人々を祀っている。その他、小寺政隆の歌碑、羽柴秀吉の軍と戦い戦死した霊を弔う五輪塔、石仏などがある。

小寺大明神から国道2号線を挟んだ北側が御着公園である。2014年に黒田官兵衛を主人公とした「軍師官兵衛」が放送されたため、黒田官兵衛に関する旗、看板、顕彰碑が設けられていた。公園内には城郭風の建物である姫路市東出張所があるが、当然後世の建物である。

(下写真:城郭風の姫路市東出張所建物)

御着公園の西側には、黒田家の廟所がある。黒田孝高(官兵衛)の祖父・重隆と生母(明石氏)を祀っている。戦国時代の黒田氏は御着小寺氏の家老であり、姫路城主であった。黒田官兵衛の時代、羽柴秀吉に従って姫路城を提供し、秀吉の軍師として大きな功績を挙げた。墓所は福岡城主であった黒田家が1802年に九州から資材を運んで造られたものという。

(下写真:黒田家廟所)

御着公園の東側、現在はグラウンドになっているが、一部土塁と堀(空堀)跡が見られる。草木が繁茂しているが、比較的良好な状態で残存している。かつては二重、四重に堀を巡らし、惣構まで持ち、播磨3大城郭(御着城・三木城・英賀城)の一つに数えられる城であったことを少しではあるが感じさせる遺構である。

(下写真:土塁跡と堀跡)


4. 城のポイント

①播磨支配の拠点 ⇒黒田官兵衛が仕えた小寺氏の居城

②御着公園周囲に残る土塁・堀跡 ⇒グラウンドの東側に見られる

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