1. 城のデータ
[所在地] 静岡県静岡市葵区城内町
[築城年] 15世紀初め、1585年
[築城者] 今川氏、徳川家康
[遺 構] 本丸、二の丸、三の丸の石垣
[別 称] なし
[形 状] 平城
[登城年] 2004年11月7日、2014年12月28日
(※トップ写真:駿府城・二の丸巽櫓)
2. 城の歴史
駿府の地は戦国時代今川氏の本拠地であり、今川氏の館が構えられていた。今川氏滅亡後、武田氏、徳川氏の争奪の場となるが、1585年に徳川家康が浜松城から駿府城に本拠を移している。家康が関東に転封となった後は中村一氏が城主となっている。関ヶ原の戦い後、中村氏は伯耆国・米子城に移っている。
1607年に徳川家康が駿府城を隠居城として、天下普請により築城を開始し、現在見られる駿府城が出来上がった。家康死後、徳川頼宣、徳川忠長が城主となるが、忠長が転封されると、駿府は幕府の直轄地となり幕末まで城代の管轄となった。
3. 城の見どころ
駿府城は本丸を中心に、二の丸、三の丸を輪郭式に配した典型的な平城であった。三重の石垣と堀で囲まれ、その周辺に町屋が広がっていた。現在は本丸の全域、三の丸の堀が部分的に消滅してしまっているが、二の丸の堀は完全に残り、打ち込みハギで積まれた精度の高い石垣を見ると、かつて徳川家康の隠居城としての格式の高さを伺うことができる。
本丸が完全に消滅しているので家康時代にあったといわれる天守の跡は残っていない。最上の瓦は銅瓦で葺かれ、黒漆塗りの下見板張りに、金・銀の飾り金具を施した六重七階の天守は天下人家康に相応しい豪華絢爛なものだったという。六重七階の天守は他に類例がなく、史上最多重階であった。
明治の廃城以降、城内の建物は全て無くなってしまったが、二の丸南東部分に巽櫓、東御門の枡形、東御門橋、土塀が復元されている。巽櫓はL字型の形でとても珍しい。また、本丸には一部南東部分のみであるが、発掘調査をもとに石垣・堀が復元されている。
(下写真:二の丸東御門と巽櫓)
また、本丸跡には徳川家康の像と、家康自らが植えたといわれる紀州ミカンが400年を経て健在である。
-再登城後の追記-
2014年12月、関西に帰省する移動を利用して、約10年ぶりに駿府城を再訪した。最近二の丸坤櫓が木造により復元されたことを知り、それを目的に訪れることにした。今回登城時に撮影した写真に全て入れ替えている。
まず何といっても現在の駿府城の顔、というべき二の丸東御門に行った。二の丸の南東に位置し、二の丸堀に架かる東御門橋と、高麗門、櫓門、南・西の多門櫓で構成された典型的な枡形門である。寛永年間再建時の姿で、1996年に復元されたものである。これまで数十例の枡形門を見てきたが、この駿府城の枡形門は特に広大で、非常に強力な防御を誇る。規模的には江戸城や大坂城の枡形門に匹敵するだろう。
(下写真:二の丸東御門・高麗門)
(下写真:二の丸東御門・櫓門)
また、東御門の南側に位置し、東御門を通ろうとする敵に対して巽櫓が斜めから睨みをきかせている。1635年に焼失したが、1989年に「駿府御城惣指図」等を基に復元された。二重三階の櫓で、平面形状が珍しくL字状になっており、城内で最も高い櫓であったという。L字の形状といえば、大坂城の乾櫓を想起させる。内部も忠実に復元されており、見学することができる。
さて、今回登城した最大の目的である二の丸坤櫓である。坤櫓は二の丸の南西の角に建つ櫓で、外観は二重、内部は三階の構造である。この坤櫓も1635年の火災で焼失したものと考えられており、復元にあたって「駿府御城惣指図」、「御城内外覚書」などの資料を基にしているそうである。
(下写真:二の丸坤櫓)
この櫓の特徴は二層目の堀側の二面に切妻出窓を設け、下部を石落としていることである。二重三階の構造、切妻出窓と石落などを見ると、名古屋城の本丸東南隅櫓に類似していることがわかるだろう。それもそのはず、復元にあたって参考とした資料以外に、不足情報は徳川系の建築物を参考にしているとのことであるから、当然尾張徳川家の居城である名古屋城も参考にしているのだろう。内部も見学可能で、桧の柱、松の巨木を利用した梁、ガラス越しに基礎部など、なかなか見ごたえがある。残念ながら1階のみしか見学はできなかった。
この他、二の丸には本丸堀と二の丸堀を結ぶ水路がある。本丸堀の水路を保つ目的で築かれた施設だ。堀の水位調整といえば、三の丸の堀には堰が何ヶ所か設けられている。駿府城の立地は南西が高く、東に向かって下がっているためだ。このような様々な工夫がされている。また、三の丸南西隅の突出する巨大な櫓台、大手御門跡の枡形と石垣など、見所は数多い。
(下写真:三の丸南西隅櫓台)
4. 城のポイント
①徳川家康が二回築城した駿河の大城郭 ⇒かつては六重七階の天守がたっていた
②近年の調査により復元された二の丸南東部分の巽櫓、東御門の枡形、東御門橋、土塀
③三の丸北側の雁行した石垣、二の丸水路、発掘調査により一部復元された堀
④近年復元された坤櫓
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