根来寺

1. 城のデータ

[所在地] 和歌山県岩出市根来

[築城年] 1140年

[築城者] 覚鑁

[遺 構] 大塔、大門、庭園など

[別 称] なし

[形 状] 寺院

[登城年] 2014年12月29日

(※トップ写真:根来寺・大塔)


2. 城の歴史

根来寺は、教義上の対立から高野山を出た覚鑁(興教大師)が開いた新義真言宗の総本山である。その後学問の寺・根来寺の地位を築き、新義の根来道場として、大いに栄えた。最盛期には堂塔2700、寺領72万石といわれるまでになり、真言宗三大学山の一つとして全国から学問を志す僧侶が集まった。

室町初期には警護のための僧兵数万を抱え、やがて鉄砲で武装し、寺院を石垣で固め城郭化していった。その勢力を恐れた豊臣秀吉が1585年、紀州平定の際、根来寺の焼き討ちを行い、武装集団は壊滅、寺院の大半を焼失してしまった。


3. 城の見どころ

根来寺は現在でも境内36万坪という広大な敷地をもつ和歌山県下で屈指の寺院である。戦国時代の根来寺は、「戦闘」を本業にする僧兵を数多く抱え、寺院も本格的に城郭化された一大勢力であった。周囲を山々に囲まれた立地にあり、比較的守りやすく、攻められにくい地形であった。

豊臣秀吉の焼き討ちにより、寺院の大半を焼失してしまっため、大塔、大師堂以外の現在の建物の全ては江戸時代に徳川氏の援助により復興したものである。それでも国宝・大塔を中心として、数十の寺院建築とともに、緑多い山々と一体化した境内は格別の趣があって素晴らしい。四季の変化に富み、現在では春には桜、秋には紅葉の名所として広く知られている寺院だ。

現在の根来寺のシンボルはやはり国宝に指定されている大塔であろう。大師堂、大塔、大傅(伝)法堂と立ち並ぶ光景は実に圧巻だ。大塔は真言密教の教義を形の上で示したもので、1496年に建立されたものである。高さ40mにも及ぶ、我が国最大の木造多宝塔で、秀吉の焼き討ちの際にも残ったものであるが、その時の火縄銃による弾痕の跡が今でも残っている。

大塔の東隣に建つ大傅法堂は根来寺の本堂にあたり、1827年に再建されたものである。本尊は大日如来で、真言宗の最も大切な修法を伝える道場で、僧侶が厳しい修行をする所だ。大塔の西隣の大師堂は真言宗開祖の弘法大師像を祀る建物だ。

(下写真:大傅法堂)

本坊は新義真言宗の管長職を兼ねる座主の住坊である。この中には紀州徳川家から拝領した建物で、港御殿、名草御殿、別院などがある。名草御殿の内部は観覧することができ、武家による書院造の粋を感じることができるだろう。自然の滝と池を配した庭園は国の名勝として指定されている。

(下写真:本坊名草御殿)

また、本坊の西側には光明殿、行者堂、聖天堂があり、聖大池から背後の山々も含めて見る構図は実に素晴らしい。

(下写真:聖大池と聖天堂)

大門は境内の一番西端に建っており、根来寺の総門にあたる。1850年に再建されたもので、左右に2体の仁王像を配している。高さは16.88m、横幅17.63m、奥行6mという実に巨大な門であり、根来寺の総門として相応しい構えである。


4. 城のポイント

①戦国時代、一大勢力を誇った武装集団の拠点 ⇒豊臣秀吉により焼き討ちにあう

②国宝の大塔、大傅法堂、大師堂、大門など

③本坊に建つ名草御殿 ⇒紀州徳川家から拝領した建物

魅惑のお城

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