1. 城のデータ
[所在地] 大阪府大阪市中央区大坂城
[築城年] 1583年、1620年
[築城者] 豊臣秀吉、徳川幕府
[遺 構] 本丸、二の丸、大手門、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、金蔵、焔硝蔵、金明水屋形
[別 称] 錦城、金城
[形 状] 平城
[登城年] 2004年12月30日、2015年1月2日
(※トップ写真:大坂城・復興天守)
2. 城の歴史
古来より大坂の地は京都から海路に出るための要衝として栄えていた。この地に1496年蓮如が石山本願寺を築き、顕如の時代には織田信長と10年に及ぶ石山合戦を繰り広げている。
1583年、信長の後継者となった豊臣秀吉が本願寺跡に主君・信長の安土城を超える絢爛豪華な城郭を築いた。しかし、1615年大坂夏の陣において、城は秀吉の子・秀頼と共に焼失する。豊臣家滅亡後、徳川幕府がその威信をかけて西国・北陸の諸大名に天下普請のもと、本格的な再建をかけ、10年の歳月をかけて豊臣大坂城を大きく凌駕する城郭に生まれ変わった。
3. 城の見どころ
大坂城というと、「太閤・豊臣秀吉が築いた城」というイメージがどうしてもあるが、現在の大坂城は大坂夏の陣で焼失した豊臣大坂城の土台の上に徳川幕府がその威信をかけて築き直した城郭である。そのため、現在の大坂城に秀吉時代の遺構というものは全く無い事に注意しなければならない。
豊臣時代の大坂城は黒漆で塗り固めた城壁と、金箔が塗られた軒瓦、金具で飾られた豪華絢爛たる城郭であった。軍事的にも高石垣と三重の堀で囲まれた城郭は、総構の外周10kmに及ぶ難攻不落の大城郭であった。しかしそれをさらに上回る城郭に再建させたのが徳川幕府であった。石垣の高さと水堀の深さは豊臣時代の約2倍に、天守の規模も2倍以上の大きさになったというから、豊臣から徳川への時代の流れというものを否応なしに実感させるものであったに違いない。
また、当時城内には本丸を中心に三重櫓が12基(本丸に11基、二の丸に1基)も存在していたという。その一基一基が高知城天守の規模に匹敵したというから、完成当時の城郭は、西国大名を牽制し、見る者を圧倒させるに充分なものであっただろう。まさしく、徳川幕府が意図した通りの結果になったといえる。
現在の大坂城の見所は何といっても要所に屈曲を持たせた高石垣だと思う。外堀・内堀の櫓が存在した所には必ずと言っていいほど屈曲を持たせている。これは「横矢掛り」と呼ばれる十字攻撃を可能にする工夫である。また、要所には巨石が至る場所で使われており、徳川幕府の権力の大きさを感じると共に、当時の城郭技術の最高水準で築かれたことが分かる。
(下写真:南外堀と六番櫓)
徳川大坂城の遺構としては、石垣、水堀の他に、4つの二重櫓、2つの蔵(金蔵、焔硝蔵)、天守跡のそばに井戸(金明水屋形)が残っている。櫓はどれも規格化された形で、意匠的に徳川系の櫓だとひと目でわかる。金蔵、焔硝蔵は城内に残る蔵として珍しい。特に焔硝蔵は石垣で壁がつくられ、厳重になっている。
(下写真:一番櫓)
(下写真:乾櫓)
(下写真:千貫櫓と大手門)
(下写真:大手門枡形の櫓門)
本丸には昭和6年に復興された天守がある。徳川天守台の上に、豊臣時代の天守を想定して建てられた鉄筋コンクリート造の天守である。そのため、歴史的には一致していないため現在の天守に対して色々と複雑な想いがあるのだが、それでも天守復興の先駆けとなった天守であるので、そういう意味では大変意義のある復興天守であったと言っても良いのかもしれない。
-再登城後の追記-
2015年1月、実家に帰省する移動時間を利用して、約10年ぶりに大坂城を再訪した。前回訪れたのが学生時代の時だから、随分と久しぶりのことだった。年始の休暇のためか、多くの観光客が来ていたため、じっくりと城郭を観察することができなかった。特に外国人が多く(その中でも中国人が多いようだった)、日本人よりも多かったのではないかと感じた。掲載写真については、今回登城時に撮影したものに多く入れ替えている。
やはり徳川幕府がその権威を知らしめるために、天下普請により諸大名に築かせた城郭だけあって、その規模は他城を大きく圧倒している。特に石垣の高さ、堀の幅、深さは他城の追随を許さない。城の出入口である枡形石垣部分には特に有力大名が競って巨石が配置されている。桜門枡形の巨石(蛸石)、京橋門枡形の肥後石、大手門枡形の大手見付石、二番石など、よくこんな巨石を城まで運んできたなぁ、と感心するくらいのものだ。
(下写真:桜門枡形の巨石)
また、今回は大坂城内に現存する4つの二重櫓のうち、一番櫓を近くまで行って見てみたが、二重櫓にも関わらず、やはりこれも大きい。初重が7×6間と、通常の二重櫓に比べてはるかに規模が大きい。他城とのスケールの違いを痛烈に感じた。よく見ると、屋根瓦には徳川家の葵紋が施されていることがわかる。
4. 城のポイント
①天下人秀吉が築き、徳川政権が秀吉を凌駕すべく築いた巨城
②本丸、二の丸の石垣 ⇒横矢が掛った石垣の塁線と20mを超える高さに注目
③現存する4基の二重櫓と2つの蔵 ⇒櫓は典型的な徳川系の意匠
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