水守城

1. 城のデータ

[所在地] 茨城県つくば市水守

[築城年] 平安時代

[築城者] 平良正

[遺 構] 空堀、土橋、櫓台

[別 称] なし

[形 状] 丘城

[登城年] 2015年2月15日

(※トップ写真:水守城・古墳の墳丘を利用した櫓台跡)


2. 城の歴史

水守城は平安時代、平良正によって築かれたといわれる。良正は平国香の弟で、平将門の叔父にあたる。当時は「水守営所」と呼ばれていたという。平将門の乱の鎮圧後、平貞盛の養子・維幹がこの地に移り住み、常陸大掾氏の祖となっている。その後、北条に移り、多気太郎と称し、多気山城を築いた。

戦国期の水守城は常陸国守護職である小田氏の支城として機能していたらしい。本拠である小田城にも程近い。多賀谷氏の勢力圏に近く、城の争奪戦が繰り広げられたと推定されている。いつごろ廃城となったのか詳細については不明である。


3. 城の見どころ

水守城は桜川西岸、北に突き出た台地の先端に立地している。比高はわずか約10mほどではあるが、周囲はかなり開けた平地なので、現在でも眺望がよくきくことがわかる。城の規模としては長径約200mほどの単郭構造で、現在は田水山小学校や田中幼稚園、勤労者体育センターなどの敷地内となっている。

(下写真:西側から城跡を遠望)

城の南側には台地を分断する横堀が設けられていて、虎口である土橋を東側の張り出し櫓台から堅固に防衛する構成になっている。このあたりの樹木の繁茂が凄いが、横堀、土橋(現在も道路になっている)は比較的よく残っている。櫓台は土橋側からある程度見えるが、近くまで行くことはできなかった。

(下写真:南虎口の土橋と横堀)

水守城の一番の見どころは、城の北端にあたる場所に位置する櫓台である。田水山小学校のグラウンドの北端に現在も残っている。これは古来からの古墳の墳丘を利用した櫓台といわれ、城の北側の守りの要であったと思われる。ここに水守城址の碑がひっそりと建っている。また、この櫓台跡からは周囲の田園地帯と、雄大な筑波山を遠望することができる。

(下写真:櫓台跡にたつ水守城址)



4. 城のポイント

①平安時代に平良正によって築かれた城 ⇒のちに平維幹が拠点とした

②城の南側に残る空堀、土橋、北側に残る櫓台跡

0コメント

  • 1000 / 1000