築山館

1. 城のデータ

[所在地] 山口県山口市上堅小路

[築城年] 15世紀中ごろ

[築城者] 大内教弘

[遺 構] 土塁

[別 称] 大内氏築山

[形 状] 館

[登城年] 2015年4月28日

(※トップ写真:築山館・築山神社裏の土塁)


2. 城の歴史

築山館は、15世紀中頃、大内氏28代・教弘が築いたとされる。大内氏館が手狭になったために築かれたようだが、築山館は教弘以後、歴代当主の居館の一つとしていたようである。館は連歌師に詠まれるほど、かつて豪華な庭があったという。

大内氏滅亡後、館は朽廃したが、園池の跡は残っていたと言われる。しかし、その池も江戸時代中頃、周囲の築地の土をもって埋めてしまい、現在のようになったといわれる。現在館跡は八坂神社と築山神社の境内の一部となっている。


3. 城の見どころ

築山館は山口盆地の北東、一の坂川東岸に位置する。大内氏館の北側、現在の八坂神社と築山神社の境内にあった大内氏の別館である。当時立派な築山(山に見立てて石などで築いたもの)があったので、「築山館」の名をつけられたといわれている。大内氏館と同様、室町将軍邸を模範とした館で、当時は迎賓館的な役割があったのではないかと考えられている。

(下写真:築山跡の石碑と説明板)

館の遺構としては、築山神社の裏手、北側と西側に鍵の手状に土塁(築地)が一部残されている。中世館の土塁としては、意外に高い印象があった(約3~4m)が、江戸時代末の絵図では土塁の外面は自然石の石垣であったと伝えられている。その石垣は幕末、毛利氏が山口城を築く際に持ち去られたといわれ、その後土を掻きあげられて今の状態となったということなので、中世の状態からいくぶんか改変を受けている可能性がある。

(下写真:築山神社裏の土塁)

八坂神社は大内弘世が京都から勧請し、大内義興が1519年に本殿を建立したもので、国の重要文化財に指定されており、貴重な文化財なので、あわせて見学しておくと良いだろう。

(下写真:館跡にたつ八坂神社)


4. 城のポイント

①大内氏の館 ⇒大内氏館の北側に位置する別館

②八坂神社裏手に残る土塁

③重要文化財である八坂神社の本殿 ⇒大内氏ゆかりの神社

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