1. 城のデータ
[所在地] 山口県山口市亀山町
[築城年] 1596年
[築城者] 毛利秀元
[遺 構] 堀跡
[別 称] なし
[形 状] 平山城
[登城年] 2015年4月28日
(※トップ写真:長山城・亀山山頂広場の毛利敬親公像)
2. 城の歴史
長山城の築城年代は正確には不明であり、戦国時代に毛利氏によって築かれたといわれ、仁保元忠が在番していたという。その後、毛利一族の秀元(毛利元就の孫)が1596年から居所として築城しようとしたが、関ヶ原の戦いの敗北により、秀元が長門国・長府に移ると長山城は廃城となった。
その後、1900年(明治33年)に長山城跡は公園として整備され始め、現在は亀山山頂広場として、一般市民に開放されている。城跡があった亀山山頂には長州藩第13代藩主・毛利敬親公の騎馬像、国木田独歩の詩碑等が建てられている。
3. 城の見どころ
長山城は山口市内にある標高66mの亀山山頂にあった戦国期の城郭である。亀山の北側には山口県庁、南山麓には山口市役所、山口ザビエル記念聖堂、県立美術館などがあり、現在の山口市街地の中心地に位置している。
(下写真:亀山全景)
小高い丘の上に立地するため、亀山山頂に立てば、山口市内を一望できる。北には大内氏隆盛の象徴である瑠璃光寺、東には大内氏館跡(現・龍福寺)、築山館跡(現・八坂神社)など、戦国期に山口を統治した大内氏ゆかりの地をのぞむことができる。
(下写真:亀山山頂への登山道)
山頂は平坦な広場(公園)となっており、その中心に毛利敬親公の騎馬像が建っている。幕末期、明治維新の原動力となった長州藩の当時の藩主である。敬親公といえば、家臣の進言に対して何でも「そうせい。」と言ったことから「そうせい公」と呼ばれたという逸話があるが、この騎馬姿の敬親公は凛々しく、明治維新を推進した長州藩主としての威厳が実に感じられるだろう。
山頂には、昭和天皇の御製(「ふりつもる み雪にたえて いろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ」)の石碑もある。敗戦後、復興に向けて日本人を励ますために詠まれた御製であり、困難な時期に国民とともに進もうとされた陛下の心が偲ばれる。
城跡については、築城途中で廃城となってしまったこともあり、遺構は残っていないようである。唯一、亀山東山麓の県立美術館横の堀池が当時の堀の一部と言われている。しかしながら、現在はコンクリートで周囲が固められており、ここがかつて長山城の堀であったとわかる人は少ないだろう。
(下写真:県立博物館横の堀跡)
4. 城のポイント
①関ヶ原の戦い後、築城途中で廃城となった城
②亀山山頂広場の毛利敬親公の騎馬像、昭和天皇の御製の碑
③亀山東山麓にある県立美術館横の堀池 ⇒当時の堀であったとされる
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