茨木城

1. 城のデータ

[所在地] 大阪府茨木市片桐町

[築城年] 15世紀初頭以前か

[築城者] 茨木氏か

[遺 構] 移築城門

[別 称] なし

[形 状] 平城

[登城年] 2015年1月2日、2015年12月1日

(※トップ写真:茨木城・移築搦手門)


2. 城の歴史

茨木城は建武年間に楠木正成が築いたのが始まりと言われるが、築城時期については定かではない。戦国時代は摂津国の国人・茨木氏の拠点だったとされる。1571年、白井河原の戦いで茨木氏は敗れ滅亡する。この後、城には中川清秀が入った。

1585年に中川氏は播磨・三木に国替えとなり、茨木城は京都と豊臣秀吉の大坂城との間をつなぐ城として機能した。そして、秀吉配下の片桐且元が茨木城主となったが、1615年の大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡した後、1617年に茨木城は廃城となる。城下については在郷町としてその後も繁栄する。


3. 城の見どころ

茨木城は現在茨木小学校付近にあったとされる城郭である。しかし、城跡周辺は阪急茨木市駅前という立地柄、完全に市街化されてしまっており、当時の遺構を確認することはかなり困難である。それでも、周辺の地名には、「殿町」、「城之町」など、城下であった名残を思わせる地名が多い。茨木小学校の門として、奈良県大和郡山市の慈光院に移築されたと伝わる城の城門を模して復元されている。

(下写真:茨木小学校前に復元された櫓門)

また、城下の南西に位置する茨木神社には移築城門が残っている。かつての搦手門であったとされる(しかし、登城当日正月の屋台が門前を占拠しており、良い写真を撮れなかったので掲載していない)。


-再登城後の追記-

2015年12月に約1年ぶりに茨木城跡を訪れた。前回訪れた時は、茨木神社に移築されている搦手門の周辺が正月の屋台に占拠されていたが、今回は平日に行ったのでしっかりと写真におさめることができた。茨木神社の東門として、今も現役として機能を果たしている。薬医門形式の城門で、小大名の搦手門としては大変立派な城門であり、貴重な遺構である。

(下写真:茨木神社拝殿)

また、茨木神社の境内奥には「黒井の清水」と呼ばれる井戸が残る。かつて豊臣秀吉の茶会に使用された名水だといわれる。

(下写真:黒井の清水)

現在では城の遺構は数少なくなってしまったが、織豊期には城と城下を取り囲む「総構」があったといわれる。茨木川の東岸に茨木城の中心部があり、城郭部分の南北に侍屋敷、これらの北側から東、南を取り巻くように城下町が形成されていた。


4. 城のポイント

①戦国時代、摂津支配に欠かせなかった幻の城 

②茨木小学校前に復元された櫓門 

③茨木神社に移築された城門  ⇒かつて茨木城の搦手門だった

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