小幡陣屋

1. 城のデータ

[所在地] 群馬県甘楽郡甘楽町小幡

[築城年] 1629年

[築城者] 織田信昌

[遺 構] 庭園、復元土塁など

[別 称] 小幡城

[形 状] 陣屋

[登城年]2016年3月5日

(※トップ写真:小幡陣屋・楽山園)


2. 城の歴史

小幡陣屋が築かれた地には国嶺城の小幡氏の重臣・熊井戸氏が屋敷を構えていたとされる。1615年に織田信長の次男信雄が大和宇陀3万石と上野国甘楽郡2万石が与えられ、信雄は1616年に四男信良に甘楽郡を相続させ、小幡藩2万石をつくり、1642年に小幡陣屋を完成させた。9代信俘(のぶちか)が、出羽高畠に移された後、松平忠恒が2万石で入った。3代忠恵のとき、城主格の大名に格上げされ、小幡陣屋は小幡城と称するようになったが、20年足らずで明治維新を迎えることになる。


3. 城の見どころ

小幡陣屋は東西約600m、南北約760m、敷地面積約34haという、2万石の小大名には大きすぎる規模を持つが、城主であった織田家の格式によるものらしい。敷地内には60棟あまりの役所建物、侍屋敷が構えられた。建物遺構は残されていないが、土塁、石垣、城門などが復元整備されている。

陣屋跡に行く前に、まずは城下町を散策するとよいだろう。侍屋敷、小堰、大手門跡の礎石など、様々な遺構が残されている。江戸時代から残される建物、石垣などとても風情のある街並みである。山田家に残される喰い違い郭は、戦時の防衛上のため造られたものであり、城下町全体が城となるつくりであったことがわかる。

(下写真:喰い違い郭)

中小路を抜けると、藩邸の入口である中門がある。総高約7mの薬医門であり、屋根は橡葺き(杉材)である。2011年に復元されたもので、入口周辺は低い石垣が積まれ、枡形虎口を形成している。鏡柱は68×41cmの太さで、とても立派な門である。門の前には名勝楽山園の石碑がたっている。

(下写真:中門)

中門を抜けて右手に2008年に整備された拾九間長屋がある。9部屋あり、足軽たちが住んだ長屋である。長屋が復元される事例は珍しい。内部は資料館となっており、小幡陣屋の歴史、陣屋の復元模型などを見学できる。

(下写真:拾九間長屋)

藩邸御殿跡は土塁と空堀で囲まれていた。2006年に堀幅・深さを縮小して復元されている。当初の堀は幅約7.5m、深さ2m以上あったという。この土塁の外側が外郭、内側が藩邸御殿や庭園などがある内郭となる。

(下写真:土塁と空堀)

土塁と空堀を渡ると、藩邸御殿跡である。建物は残されていないが、絵図などに基づいた平面表示がされており、表向、奥向、台所の空間で構成されていたことがわかる。拾九間長屋内部に展示されている復元模型を見るとわかるが、隣接する豊かな庭園があり、非常に風情のある藩邸であったようだ。

庭門を抜けると、広大な庭園(楽山園)が拡がる。2012年に10年の歳月をかけて復元された楽山園は、昆明池の周りに石を配置し、周辺の山並みを借景とした実に美しい庭園であり、群馬県内で唯一の大名庭園である。


4. 城のポイント

①国主格を許された織田氏の陣屋

②復元された中門、拾九間長屋、土塁・空堀、楽山園

③城下町に残る侍屋敷、喰い違い郭、大手門跡礎石、小堰など




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