栃木城

1. 城のデータ

[所在地] 栃木県栃木市城内町

[築城年] 1591年

[築城者] 皆川秀光、皆川広照

[遺 構] 土塁、水堀

[別 称] なし

[形 状] 平城

[登城年] 2016年2月18日

(※トップ写真:栃木城・城址公園入口)


2. 城の歴史

栃木城は1394年に皆川秀光が築いたと伝えられているが、その詳細はよくわかっていない。1591年に皆川広照が築城したと言われる。城は東西150m、南北130mほどの本丸を中心に、二の丸、蔵屋敷、三の丸で構成されていた。城の周囲は930mほどの規模であったという。

しかし、1609年に広照が徳川家康の怒りにふれたため、城は取り壊しとなり、現在は水堀の跡や土塁の一部が城内という地名とともに残るだけとなっている。


3. 城の見どころ

栃木城は永野川や巴波川の中小河川が流れる沖積地に立地する平城である。築城当時はかなり広大な平城であったが、現在では、栃木市の市街地にあるため、遺構の大半が消滅している。わずかに小さいが城址公園として整備されており、水堀と土塁の一部を見ることができる。

城址公園は住宅街の一角にあり、とても静かな場所である。また、栃木城の説明板が設けらえており、ここにかつて城郭があったことがわかるようにしてくれている。

(下写真:城址公園土塁跡)

公園の周囲を取り巻いている水堀は、現在も豊富に水が満ちており、流れがあるためか、さながら小川のようである。水堀の護岸部分と土塁の麓部分が丸石で固められているため、一瞬石垣かと思ったが、これは後世の工事によるものだろう。

(下写真:水堀)

一方、公園内に一部残っている土塁は非常に高く、高さ4~5mほどはあるだろうか。戦国時代に下野の地方領主として勢力をはった皆川氏の権力の程が伺える。


4. 城のポイント

①下野の地方領主・皆川氏の城 ⇒江戸時代初期に廃城

②水堀と土塁の一部が現存 ⇒わずかに城址公園として整備されている

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