多門氏館

1. 城のデータ

[所在地] 埼玉県富士見市諏訪

[築城年] 不明

[築城者] 不明

[遺 構] 堀、土塁

[別 称] 鶴間館

[形 状] 館

[登城年] 2016年2月14日

(※トップ写真:多門氏館・土塁)


2. 城の歴史

多門氏(おかどし)館は、荒川西岸、富士見江川と新河岸川にはさまれた沖積台地上の低丘陵上に位置する。多門氏は、三河以来の徳川家臣で、家康の関東入国後、鶴間の地を居館として定めた。多門氏は江戸幕府の旗本となっている。

その後、多門氏が鶴間の地を離れた後は、川越藩が一帯を領したため、館が残されたという。近年では、戦国時代、北条氏の家臣で、武蔵松山城の上田氏一族の居館であったとも考えられていて、近隣の鶴間城との関連についても指摘されている。


3. 城の見どころ

多門氏館は、現在の諏訪小学校の南側に位置し、長径約80mの方形居館の周囲に堀と土塁が巡り、堀の外側にも土塁が備えられた二重土塁があった。発掘調査により、掘立柱建物跡、柵列跡、土杭などが発見されている。

近年、宅地造成によって一部の遺構が残されるのみとなってしまった。現在、新興住宅地と、昔からの住宅地との境目に土塁らしきものの跡が見られる。木々が生い茂り、傍目には城の痕跡とわかりづらいが、屈曲して伸びていることがわかる。

(下写真:館跡を取り囲む土塁)


4. 城のポイント

①徳川旗本・多門氏館の館跡とされる

②新興住宅地と、昔からの住宅地との境目にわずかに土塁が残る

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