木山城

1. 城のデータ

[所在地] 熊本県上益城郡益城町寺迫

[築城年] 不明

[築城者] 不明

[遺 構] 堀、土塁

[別 称] なし

[形 状] 平山城

[登城年] 2016年6月3日

(※トップ写真:木山城・曲輪跡と城址)


2. 城の歴史

室町時代の木山郷は阿蘇氏の支配領地であった。阿蘇氏の家臣である惟興が1441年頃に入封したと推定されている。惟興は木山氏を名乗り、以後木山城主として代々続いた。

木山郷は隈本(熊本)への交通の要衝でもあり、防備体制の必要から木山城を15世紀末には完成させた。戦国時代は、阿蘇氏の大宮司職や菊池氏の守護職争い、豊後の大友氏の侵略など、政争の渦に巻き込まれる。そしてついに木山城は1585年、島津軍によって木山城は攻略される。


3. 城の見どころ

木山城は益城町木山集落の南東、城の本と伝える丘陵上に位置する。木山氏代々の居城であった。本丸と伝える中心曲輪は木山城公園となっており、周囲は空堀、土塁が見られる。城跡を示す石碑、城の説明板(城の歴史、縄張図)もたっており、よく整備されている。また、城跡には城の本古墳があり、石棺跡を示す説明板もあった。ということは、この辺りが古来から人々が生活を営んできた土地であったということがわかる。

(下写真:曲輪跡)

(下写真:現地説明板)

木山城は2016年熊本地震の家屋被害調査の際に訪れた。益城町内の住宅が軒並み倒壊する被害を見て衝撃を受けた後、中心地から少し離れた丘陵上にある木山城を見学した。やはり木山城も同様に大きな被害を受けていた。城跡の入口付近の土留めが崩壊、墓地の墓石が倒壊、公園内のトイレ建屋も基礎部分が崩壊した状態であった。

城跡は高台にあり、益城町内を一望できる。見晴らしの良い場所に城を築くのが領内統治と軍事的な点から重要で、地方領主の典型的な中世城郭であることを体感できる。


4. 城のポイント

①室町時代から木山郷を支配した木山氏の居城

②曲輪、空堀、土塁が現存



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