1. 城のデータ
[所在地] 福島県白河市追廻
[築城年] 1627~1632年
[築城者] 丹羽長重
[遺 構] 本丸、竹の丸、帯曲輪、二の丸、内堀
[別 称] 白河城、小峰城
[形 状] 平山城
[登城年] 2009年11月4日
(※トップ写真:白河小峰城・三重御櫓)
2. 城の歴史
南北朝時代、結城白河氏の庶流・小峰氏により築かれ、後に宗家の白川氏の居城となった。1590年の豊臣秀吉による奥州制圧後は蒲生氏、上杉両氏の城代が置かれた。1627年には棚倉から丹羽長重が10万石で入り白河藩が成立し、近世城郭の築城がなされた。1643年に丹羽氏は二本松に国替えとなり、その後松平、本多、阿部氏と譜代の大名が城主となっている。
白河の地は古来から陸奥への関門である、「白河の関」として有名な地であり、白河小峰城は江戸時代を通じては北の伊達家などの外様大名を睨む、奥羽地方きっての押さえの城となった。
3. 城の見どころ
2009年ゴールデンウィーク休暇を利用して東北地方のお城めぐりに行った第1弾がこの白河小峰城だった。古来より「白河の関」として名高い白河の地は栃木県から福島県に入ったところにある。東京からスタートして、山あいの道をずっと車で走らせてついに東北の入口に到達したところで感動もひとしおだった。
白河小峰城は、福島県と宮城県の両県を流れている大河・阿武隈川を天然の外堀としてとらえ、この川を北側にのぞみ、標高370mの小峰ヶ岡という小高い丘の上に築かれた総石垣造りの見事な近世平山城である。
(下写真:内堀)
何といっても白河小峰城の見どころは石垣造りの名手と言われた丹羽家(かつては安土城の築城にも関わったとされる)が築かせた見事な高石垣だろう。石垣は加工が入念に施され整然と積み上げられ、勾配は急で石垣造りの完成期の証拠である。本丸を取り囲む石垣、特に桜門跡付近や月見二重櫓跡付近の高石垣は城内でも必見の箇所である。
(下写真:月見二重櫓跡石垣)
(下写真:桜門跡石垣)
一城ファンとして素晴らしく思うのは、戊辰戦争で激戦後に落城してしまった三重御櫓を絵図等の参考資料や発掘調査などを基に、平成6年に木造で復元した事である。三重御櫓は本丸の北東隅に位置し、実質天守として機能していた櫓である。東北地方には珍しく外観は下見黒板張の意匠で、素朴さの中にも力強さを感じさせる。切妻出窓、切妻破風など装飾も多彩である。
白河小峰城のシンボルである三重御櫓は、江戸時代に幕府が出した一国一城令のため、幕府に遠慮して天守とは称しなかった経緯があった。このように実質天守だが櫓であると届け出たケースは結構多く、この白河小峰城だけでなく例えば弘前城など、全国の他の大名の城についても同様である。
(下写真:三重御櫓)
戦後天守の復元ブームでは、建物が鉄筋コンクリート造なのがほとんどであったが、白河小峰城は木造での復元ブームへの一石を投じた価値あるものである。この小峰城の復元を機に、近年は新発田城、大洲城、掛川城など、木造での天守などの復興が多くなっている。これは歴史的価値や城という日本が誇る建造物を保全していく上でとても素晴らしいことだと思う。
(下写真:前御門)
4. 城のポイント
①御三階櫓が周辺地域に威厳を示した奥羽地方きっての押さえの城
②平成9年に木造で復元された三重御櫓と前御門 ⇒城郭建築の木造復興の先駆けとなる
③丹羽氏によって築かれた急勾配の高石垣 ⇒本丸周辺の切込ハギの石垣に注目
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