梁川城

1. 城のデータ

[所在地] 福島県伊達市梁川町 

[築城年] 不明 

[築城者] 伊達朝宗

[遺 構] 曲輪、土塁、石垣、庭園

[別 称] なし  

[形 状] 平山城  

[登城年] 2014年5月4日

(※トップ写真:梁川城・本丸石垣)


2. 城の歴史

梁川城は鎌倉時代に伊達氏によって築かれたとみられる。そして、14世紀末の伊達氏九代の大膳大夫政宗の時代には本城として使用されたという。1552年に伊達稙宗が陸奥国の守護職に任じられると陸奥の政治的中心地となった。その後も伊達氏の重要拠点であったが、豊臣秀吉の奥州仕置後は1590年には蒲生氏、1598年には上杉氏の持城となった。

その後1664年には一度廃城となったが、1807年から1821年の間にかけては蝦夷松前から松前章広が入り、梁川城は松前氏の本拠地となって最終的に明治にまで至っている。


3. 城の見どころ

梁川城は、標高約60mの段丘上に築かれた城郭である。現在城跡は梁川小学校などの敷地内となっている。城の南側には広瀬川が流れており、堀と土塁に囲まれた本丸を中心に、東から南外側に二の丸、北から西外側にかけて三の丸が取り囲む輪郭式の縄張であった。現地に立っていた案内板に描かれた城図によれば、天守はどうやら建てられることはなかったようである。本丸の形状が六角形をしているのが何となく興味深い。

城の遺構は市街化に伴い随分失われてしまっているが、本丸の心字池の庭園と、その背後に石垣・土塁が残っている。庭園遺構は巨石を配置した、伊達氏時代にまで遡ることができる可能性がある庭園であるとのことで、全国的にも珍しく、大変貴重な遺構といえるだろう。(梁川小学校の校庭の一角にあり、当然怪しまれないように入る必要がある。幸い登城時は祝日だったため、あまり怪しまれることなく、無事に見学できた。)

(下写真:本丸庭園と本丸跡)

(下写真:本丸庭園と石垣)

庭園の背後の石垣は蒲生氏時代のものと推定されており、実に荒々しい野面積の石垣だ。石の素材、積み方などを見ると、同じ福島県内の会津若松城や三春城に残る石垣との共通点を感じることができると思う。石垣から続く土塁は浅間神社の境内まで続いている。浅間神社は伊達氏以来の城中鎮護の社であり、以降の歴代城主からも庇護されてきたという。

(下写真:本丸土塁)

梁川小学校の裏門(北入口)付近に梁川城大手門跡の説明板がたっており、このあたりが上杉氏時代以降の大手であったことがわかるようになっている。かつては石垣上に櫓門を構えた堅固な城門があったそうである。現在では小学校の敷地を取り囲んでいる土塁が残っているのみである。

(下写真:大手門付近の土塁)


4. 城のポイント

①伊達氏が本拠としていた城

②蒲生氏時代とされる本丸石垣と庭園遺構

③本丸を取り囲むように残る土塁

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