1. 城のデータ
[所在地] 奈良県大和郡山市筒井町
[築城年] 14世紀半ばか
[築城者] 筒井氏
[遺 構] 堀、土塁、井戸
[別 称] なし
[形 状] 平城
[登城年] 2016年1月2日
(※トップ写真:筒井城・菅田比売神社東側の内堀跡)
2. 城の歴史
筒井城は14世紀半ばに、本格的な軍事施設として築かれている。築城者は筒井氏であり、大和国の覇権を巡って、奈良盆地南部の越智氏や箸尾氏と抗争を繰り返していた。
1559年に河内より松永久秀が大和に侵攻した。当時の筒井氏の当主・順慶は幼かったため、筒井城は落城している。その後、1576年に織田信長の援助を得て、順慶が大和国の支配を任され、再び筒井城を拠点とすることになった。だが、1580年に、信長より大和国の城は大和郡山城を除いて全て破却せよとの命令により、筒井城は廃城となった。
3. 城の見どころ
筒井城は東の河内国へ向かう街道(奈良街道)と、北の奈良へ向かう街道(吉野街道)が交差する交通の要衝に築かれた、大規模な平地式城館である。南北約100m、東西約200mの範囲を城郭の中枢(主郭部)とし、内部は堀で区画されていた。
主郭部の北側には重臣たちの屋敷地を配置し、南側には旧来の農村部分がそのまま広がっていた。これは、大和地方に多く見られる周囲に堀を巡らせた環濠集落が城塞都市化した事例である。また、城の西に接する吉野街道沿いには南北2か所に市場が設けられていた。16世紀中頃には、主郭部、重臣たちの屋敷地、農村部分まで含んだ、南北約450m、東西約600mに及ぶ、広大な外堀が築かれ、総構を構成していた。
現在、筒井城の内堀、外堀跡が随所に見られる。光専寺から南へ少し歩くと、筒井城の看板と説明板がある。この付近から菅田比売神社境内がかつての主郭部であった。
(下写真:主郭部跡)
神社の東側から南側にかけて内堀跡が良好に残っている。主郭部跡の南側に蓮池(畑)となっている部分も、かつての内堀跡である。
(下写真:主郭部南側の内堀跡)
蓮池となっているかつての内堀跡の北側を西へ向かうと、「筒井順慶城址」が建っている。かなり見つけ難い所に建っているので、事前に確認しておきたい。
(下写真:筒井順慶城址)
また、城址の西側には吉野街道から主郭部に入る虎口跡が現在も見られる。道が直角に2回折れ曲がっていることに加えて、かなり道幅が狭い。
光専寺の北側付近には筒井城の外堀跡が見られる。幅は10mを超え、かつては深さもより深かったと思われる。
(下写真:光専寺北側の外堀跡)
4. 城のポイント
①大和統治の拠点となった大和国最大級の平城
②菅田比売神社脇の内堀跡、現在蓮池となっている内堀跡
③光専寺北側に残る外堀跡
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