姫路城

1. 城のデータ

[所在地] 兵庫県姫路市本町

[築城年] 1580年、1601年

[築城者] 羽柴(豊臣)秀吉、池田輝政

[遺構] 大天守、西小天守、乾小天守、東小天守、天守曲輪渡櫓、台所、イ~二の渡櫓、ホの櫓、ヘの渡櫓、チの櫓、リの一番櫓、リの二渡櫓、折廻り櫓、井郭櫓、帯櫓、ルの櫓、タの渡櫓、ヲの櫓、レの渡櫓、ワの櫓、カの櫓、菱の門、い~にの門・上口の櫓、ほの門、への門、との一門、との二門、との四門、ち~るの門、水の一~五門、備前門

[別 称] 白鷺城

[形 状] 平山城

[登城年] 2005年2月6日、2016年11月25日

(※トップ写真:姫路城・大天守と西小天守)


2. 城の見どころ

1993年に法隆寺と共にユネスコの世界文化遺産に登録された姫路城は、我が国の城郭建築の粋の全てを集約した城郭だといえる。明治維新後の城郭の破却活動、大東亜戦争における米軍の空襲など、幾多の困難を乗り越えた姫路城はまさしく「奇跡の城」と呼んでよいだろう。姫路城以外の現存天守を持つ城は、割と地方都市なので米軍の標的にされにくかったと思われるが、姫路市のような大都市にある城郭が標的にされながらも、ここまで数多くの遺構が今でも良好な状態で残っているのは奇跡と呼ばずして語れないように思われる。

姫路城の特徴は何と言ってもその白漆喰の美しい城壁だと思う。天守、櫓、城門、塀などあらゆる城郭建築の全てを白漆喰で徹底的に塗りこめた美しさはまさに圧巻である。特に姫路城は姫山と鷺山という東西に並ぶ小高い丘全体を利用して築かれた平山城なので、丘の麓から見上げる姫路城の勇姿は別称・白鷺城の名に十分相応しいと思う。(特に春の桜の季節は城の美しさと相まってとても素晴らしい!)

(下写真:三国堀から見る天守群)

個人的には熊本城が日本で一番好きな城郭なのだが、黒い城壁と人を圧倒させる力強い石垣群から男性的な熊本城に対し、白く美しい城壁と繊細で細微な縄張から姫路城はどちらかというと女性的な城といえるかと思う。城とはもちろん敵の侵入を防ぐ要塞という軍事的施設であったわけだが、同時に支配者の権威の象徴として、見る者を圧倒させる意味も持っていたということが見ていて理解できるだろう。

姫路城の中核である内堀以内では、複雑な縄張が続くため、どちらかと言うと中世城郭の要素が至るところで見られる。例えば、大手門(桜門)からは10ヶ所以上の城門を突破しなければ天守へ到達できない仕組みとなっている。特に「ろ」の門から「ほ」の門へ至るルートはまさに迷路のようなヘアピンカーブが何度も続いている。しかも通路がそれ程広くないため、敵の侵入をそこで一気に食い止める事ができるようなつくりとなっている。丘陵を利用して敵が攻めにくいように複雑に築かれた縄張からは美しい城の中にも、やはり城とは結局は軍事要塞であることを改めて思い起こさせてくれるだろう。

(下写真:菱の門)

(下写真:はの門付近)

ようやく大天守のある天守曲輪に辿り着いたとしても、3つの小天守とそれを取り囲む渡櫓で最後の砦である大天守は防御されている。鉄砲や弓で敵を攻撃するための銃眼や狭間がいたるところにあり、また天守の一階隅部には石落としが設けられていて、最後の最後まで徹底抗戦できるように築かれている。姫路城も単なる権力の象徴というだけでなく、あくまでも実戦を想定した造りであったということが実感できる。

(下写真:西小天守と乾小天守)

(下写真:大天守と西小天守)

(下写真:大天守から西の丸を遠望)

現在一般的に姫路城の城域といわれている内堀以内の領域は実は最盛期の姫路城の領域の一部でしかない。他の城郭と同様に、姫路城も武家屋敷、寺院、町屋など城下町全体を取り囲む総構も築かれており、その領域の最南端が現在のJR姫路駅のあたりであったというから本当に驚きである。今の市街化された町からは想像することは難しいだろう。なかなか足を運ぶ人は少ないかと思うが、中堀沿いに築かれていた数多くの城門も比較的良好な状態で残っている。


4. 城のポイント

①世界遺産に指定された白鷺の城 ⇒現存する日本城郭のうちで最大の城郭

②現存する天守群 ⇒12ある現存天守のうちで最大、連立式天守の模範 

③城内に残る数多くの櫓、城門、土塀  ⇒在りし日の城郭の姿を見ることが出来るのは姫路城のみ


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