1. 城のデータ
[所在地] 沖縄県中頭郡中城村
[築城年] 14世紀後半ごろ
[築城者] 先中城按司、護佐丸
[遺 構] 石垣、城門など
[別 称] なし
[形 状] 山城
[登城年] 2017年3月22日
(※トップ写真:中城城・一の郭城壁)
2. 城の歴史
中城城は、15世紀以前の先中城按司(領主)の時代に築かれていた。1440年ごろ琉球国王の命により、座喜味城を居城としていた読谷山按司の護佐丸が中城城に移り、当時台頭していた勝連城の阿麻和利に対抗するため、城の防御態勢が強化される。
1458年、阿麻和利の策謀により、主君である尚泰久に謀反の疑いをかけられ、護佐丸は自害する。護佐丸の死後、王位継承者の領地となった。1853年、琉球を訪れたペリー艦隊の調査隊が城の測量を行っている。
3. 城の見どころ
中城城は沖縄本島の中部にあり、6つの郭が連続する連郭式の山城であった。中城湾を望む標高約160mの丘陵上に築かれている。規模は東西約220m、南北約80mで、面積は約1万4500㎡の細長い城郭だ。南側、北側ともに急峻な崖を形成しているため、天然の要害であった。
まずは、麓の管理事務所で入場料を支払った後、城の西側(大手)から登っていく。登城道を登ると、広い平地が広がる。この平地の東端付近にカンジャーガマと呼ばれる鍛冶屋跡がある。東側に向かうと、正門跡がある。門の左右に石垣が張り出しており、防御機能を高めていた。
(下写真:正門跡)
正門を抜けて一段上がると、南の郭跡である。ここには聖地・久高島への遥拝所、雨乞い御嶽など、8つの拝所が残る。南の郭から一の郭へはアーチ門を抜ける必要がある。一の郭は広く、当時は正殿が建ち、政治の中枢であったと考えられる。一の郭の南東側には太平洋が広がり、素晴らしい眺望を味わうことができる。
一の郭から二の郭へも同様にアーチ門を抜ける。二の郭から一の郭の城壁(東側)を見ると、やはり凹状になっていることがよくわかる。攻めてくる敵に対して左右から攻撃するためであろう。二の郭の東側の城壁も同様に凹状に屈曲している。二の郭には戦前建立された忠魂碑が建っている。
(下写真:二の郭)
(下写真:二の郭城壁)
二の郭から三の郭へは直接行けないようになっていて、一度北の郭に降りて、階段を登って三の郭に至るようになっている。北の郭については、大井戸があり、城郭内に水を確保している点が、この城の特徴である。三の郭についても、一の郭、二の郭の城壁と同様、東側の城壁が凹状になっている。
北の郭から裏門により、城外へ出ることができるようになっている。裏門も精巧なアーチ式で、ペリーの調査隊がエジプト式と称したらしい。
(下写真:裏門)
中城城には、三種類の石積みが見られる。南の郭に見られる野面積み、一の郭の城壁で見られる布積み(豆腐積み)、そして三の郭で見られる相方積み(亀甲乱れ積み)である。
4. 城のポイント
①築城の名手・護佐丸が築いた城 ⇒太平洋を見下ろす連郭式の山城
②各郭で見られる城壁 ⇒一の郭、二の郭、三の郭で見られる凹状の城壁
③一の郭の東西のアーチ門、正門、裏門
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