保原陣屋

1. 城のデータ

[所在地] 福島県伊達市保原町 

[築城年] 1742年 

[築城者] 松平定賢

[遺 構] 陣屋門

[別 称] なし  

[形 状] 陣屋  

[登城年] 2014年5月4日

(※トップ写真:保原陣屋・移築陣屋門)


2. 城の歴史

保原陣屋は1742年、白河藩主・松平定賢が廃城となっていた保原城の西側に築かれた陣屋である。保原城は中世中島氏によって築かれたもので、戦国時代伊達氏に従っていたが、1591年に政宗が岩出山に移ると保原城は廃城となっている。

江戸時代に入ると上杉領となり、小越清道などが領主として派遣されている。江戸中期以降、保原陣屋は保原領17村2万石の支配の中心となり、一時幕府領や白河藩の飛び地となるが、1867年に棚倉藩に属し明治維新を迎えている。


3. 城の見どころ

保原陣屋は現在は伊達市の中心地・保原の地にあった陣屋である。近くには伊達市役所などもある。残念ながら現在陣屋跡は保原中央公民館等の敷地となっており、それらしき遺構は何も見当たらない。

(下写真:陣屋跡にたつ保原公民館)

陣屋跡の前を通る道路が「陣屋通り」と呼ばれ、このあたりに陣屋があったということがわかるくらいだ。この通りの向かい側にはかつて陣屋に植えてあったという黒松とケヤキが現存している。かなりの大木であり立派な木である。

(下写真:陣屋に植えてあったケヤキ)

陣屋唯一建物の現存遺構として、陣屋跡近くの長谷寺に移築された山門がある。これはかつての陣屋正門であった。門は入母屋造、桟瓦葺き、長屋門形式で、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、腰壁は板張りの意匠である。特に門正面側の華頭窓が実に印象的だ。おそらく寺院に移築時にいくらかの意匠変更がなされていると思うが、現在も寺の山門として良好な状態で保存されている。実際現地の説明板によると老朽化が甚だしかったため、昭和61年に門扉、門柱、梁は陣屋当時のものを用い、他は同種木材を使用して建て替えられたと書かれてあった。

(下写真:移築陣屋門裏側)


4. 城のポイント

①白河藩・松平氏の飛び地の拠点として築かれた陣屋

②寺院に移築された陣屋門

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