福島城

1. 城のデータ

[所在地] 福島県福島市杉妻町 

[築城年] 1592年 

[築城者] 木村吉清

[遺 構] 土塁、庭園

[別 称] 大佛城、杉目城  

[形 状] 平城  

[登城年] 2014年5月4日

(※トップ写真:福島城・福島県庁内の城址)


2. 城の歴史

福島城は戦国時代、大仏城・杉目城と呼ばれていた。1413年伊達持宗がこの城に立てこもり、関東公方・足利持氏に背いたとの記録があり、戦国時代末まで伊達氏の居城となっていた。

1592年奥州仕置により、蒲生氏郷の配下である木村吉清が信夫5万石をもって福島城と改称した。その後、上杉氏、幕府領と続き、1679年、大和郡山より本多忠国が入城し、この時に城の大改修が行われている。そして、1702年に板倉氏が3万石で入り以後12代続いて明治まで至ることになる。


3. 城の見どころ

福島城は現在の福島県庁付近に築かれていた典型的な平城であった。南側の大河・阿武隈川を天然の外堀として最大限に活用し、川に面して本丸、二の丸、三の丸とつながる梯郭式の縄張を構成していた。天守は建てられなかったものの、当時の城の総面積は約25haもあり、3万石(板倉氏時代)の譜代大名の居城としてはかなり大規模なものであったといえるだろう。

(下写真:阿武隈川)

その城郭も県庁を始めとする市街化に伴い、遺構はわずかに紅葉山公園として残る庭園跡と、県庁舎南側に残る土塁が残るのみである。紅葉山公園は、二の丸御外庭と呼ばれていて、当時は池、茶屋、築山などがあったとされる。池は三河国・八ッ橋のかきつばたの名所をまねてつくらせたといわれている。現在は様々な木々が生い茂る公園となっている。また、阿武隈川を見下ろせる位置には板倉氏の藩祖・板倉重昌(1638年の島原の乱で戦死)を祀る板倉神社が鎮座している。

(下写真:紅葉山公園)

現在の福島城の見どころはやはり唯一現存する土塁だろうか。福島県庁舎内にあり、福島城の外郭・西門南側にあたる土塁が良好な状態で残っている。L字状に屈曲しており、敵に横矢をかけることを意識して築かれていたことがわかる。この土塁の外側(西側)が空堀だったという。なかなかわかり難いところにあるが、よく今まで破壊されずに残ったものだと思う。

(下写真:現存土塁)

他に福島城の遺構を偲ぶものとして、県庁正面の道路上に大手門跡の石碑、県庁敷地内には福島城址の石碑(近くに城の説明板がある)がある。あと、これも見つけ難い所にあるが、福島城の前身である大佛(大仏)城の碑も県庁敷地内にある。

(下写真:大手門跡)


4. 城のポイント

①阿武隈川を堀に取り込んだ城郭

②福島県庁舎内に残る土塁


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